第7回 写像 [集合論入門]
第7回 写像
§1 写像
XとYを空でない集合(空集合でない)とする。Xの各要素xに対して、Yの要素をただ1つ対応させる規則をXからYへの写像という。
fがXからYへの写像であるとき、
または
などであらわす。
f:X→Yであるする。Xの要素xに対応しているYの要素をf(x)で表し、これを写像fによるxの像という。f(a)=bであるとき、a∈Xをfによるb∈Yの原像という。
また、Xを写像fの始域または定義域、Yをfの終域または値域(註)という。
【註】
実数全体の集合をRとし、その部分集合Aを
とし、f(x)=xでAからRへの写像が定義されるとする。
このとき、f(x)がとりうる値は0≦f(x)≦1だから、
このBを、y=f(x)=xで定義されるAからRへの写像fの値域という場合もあるので注意。
値域という言葉は無用の混乱を招くので、終域という言葉を使用すべきなのでしょうが、終域ではなく値域という言葉を使う場合もあるので、あえて本文中に値域という言葉も記した。
(註終)
問1 A={1, 2}からB={3, 4, 5}への写像をすべて挙げよ。
【解】
AからBへの写像はf₁、f₂、・・・、f₉の9通りある。
a∈Aのfによる像f(a)との関係を(a,f(a))で表すことにすると、
(解答終)
とするとき、AからBへの写像の(個)数は、(個)である。
問2 とするとき、AからBへの写像の数は、であることを示せ。
【解】
それぞれにのm通りの場合があるので、写像の数は
(解答終)
とする。任意のx∈Xに対して、f(x)=g(x)であるとき、fとgは等しいといい、
と表す。
Xを写像、A⊂Xとする(AはXの部分集合)。
XからXへの写像、f:X→Xが、任意のx∈Xに対して、f(x)=xであるとき、恒等写像といい、記号で表す。
また、f:A→Xが、任意のx∈Aに対して、f(x)=xであるとき、包含写像といい、記号で表す。
§2 合成写像
写像に対して、
によって定義される写像を、fとgの合成写像という。
問3 f(x)=x²、g(x)=2x−1で与えられる、RからRへの写像f、gについて、を求め、一般にが成立しないことを確かめよ。
【解】
(解答終)
問4 実数全体で定義された2つの関数
について、次の問に答えよ。
(1) すべてのxに対して
が成り立つとき、直線y=g(x)は常に定点を通ることを示せ。
(2) すべてのxに対して
が成り立つような関数h(x)を全て求めよ。
【解】
(1)
すべてのxに対してf(g(x))=g(f(x))が成り立つので、
よって、y=g(x)は
したがって、aの値にかかわらず、y=g(x)は点(1,1)を通る。
直線y=g(x)は定点(1,1)を常に通る。
(2) 問題の条件より
(解答終)
定理12(結合法則)
写像とすると、
【証明】
任意のx∈Xについて、
(証明終)
So-netブログは、いったい、どこまで⑧以下か!! [ひとこと言わねば]
一度、この状態に陥ると、何度、再設定しても、予約投稿できない。一度、記事を削除する以外、予約投稿機能を復活させる術はない。しかも、今日に至っては、記事を何度削除し、新たに記事をアップロードしても、保存した瞬間、公開になってしまう。
オレの書く数学の記事は、決まって、10万字エラーが出るんだよ。10万字以内に収めるために、原稿をアップロードするたびに、数式を幾つも削除しねぇといけねぇんだよ。
ふざけるのもいい加減にしやがれ、このバカBlog!!
数カ月、この状態が続いているのに、こうしたシステムの不具合を改善しようとする気配が微塵もない。
So-netのブログのやる気のなさが如実に現れているにゃ。
その証拠↓
どんなに優秀なシステムでも、こんなに不具合が少ないなんてありえない。
これは、
1 So-netブログの運営側が不具合をまったく把握しきれていない
2 So-netブログのユーザーに「このブログには何を言っても無駄だから・・・」と見切りをつけられ、
ユーザーがシステム管理者に不具合を報告しない、クレームを付けない
のどっちかだケロ。
保存中に、システムエラーが発生!!(この場合は、記事が保存されていることが多い)
今日のアニソン2、「信長の忍び」から『徒桜』 [今日のアニソン]
今日のアニソン、「ロボット・パルタ」から『いつもともだちさ』 [今日のアニソン]
NHK教育の5分間アニメは、結構、好きだったので、結構、見ていた。今も放送しているのかどうかは知らないけれど、毛虫が主人公のクレイアニメも好きでよく見ていた。
高校の写像のおさらい [集合論入門]
高校の写像のおさらい
§1 復習
1 写像と関数
集合Xの各要素に集合Yの要素ただ1つ対応しているとき、この対応fをXからYへの写像といい、記号
で表す。
a∈Xに対応するb∈Yとするとき、bをfによるaの像といいなどであらわす。すなわち
また、このとき、aをfによるbの原像という。
特に、XとYが数の集合の場合、写像fを関数という。
2 合成写像
であるとき、XからZへの写像が考えられる。これをfとgとのXからZへの合成写像という。
x∈X、z∈Zとすると、
3 上への写像と1対1の写像
写像で、fの値域とYが一致するとき、fをXからYの上への写像という。
のとき、fはXからYへの1対1の写像という。
4 逆写像
写像が、XからYの上への1対1の写像、すなわち、fがXからYの上への写像、かつ、XからYへの1対1の写像である場合、逆にYからXへの写像gが考えられ、gをfの逆写像といい、記号で表す。
§2 問題
問題1 とし、とする。
(1) XからYへの写像の数はいくつか。
(2) XからYへの1対1の写像の数はいくつか。
(3) XからYの上への1対1の写像の数はいくつか。
【解】
(1) のそれぞれにn通りの対応があるので、写像の数は
(2) これはn個のからm個取り出し、それを並べる場合の数と等しい。
したがって、m≦nのとき
m>nのときは0。
(3) このとき、集合XとYの要素の数は等しい。つまり、m=n。
したがって、
(解答終)
問題2 2つの関数に対して、次の合成関数を求めよ。
【解】
(解答終)
問題3 次の問に答えよ。
(1) のとき、となる関数g(x)を求めよ。
(2) においてfとf⁻¹が一致するようにa、bの値を求めよ。
【解】
(1)
(2) このとき、が成立するので、
fとf⁻¹が一致するので、
任意のxについて成立するので、
したがって、
a=1のときb=0
a=−1のときbは任意の実数
よって、
(解答終)
問題4 とする。
(1) 合成写像を求めよ。
(2) を求めよ。
(3) の逆写像を求めよ。
【解】
(3) だから、g(x)はg(x)の逆写像g⁻¹(x)。
したがって、
(解答終)
(3)の別解として、
【別解1】
【別解2】
y=g(x)とすると、
xについて解くと、
したがって、
だから、
(別解)
読むと、即死の内容。だから、絶対に読むな!!
死にたい奴は読んでも良い。
お前らに、とっても重要な、質問(3月27日) [お前らに質問]
お前らに、質問するにゃ。
X={1、2}、Y={a, b, c}、Z={α,β}とする。
そして、
XからYへの写像fを、f(1)=a、f(2)=b
YからZへの写像gを、g(a)=α、g(b)=β、g(c)=β
とする。
すると、XからZへの合成写像は
となる。
このXからZへの合成写像はは、XからZの上への1対1の写像、つまり、全単射だから、
という逆写像も存在する。
さてさて、ここで問題(^^)。
問題 このとき、写像の逆写像は存在するでしょうか。
そして、このとき、
は成り立つでしょうか。
ブラゲロからの質問への回答 [お前らに質問]
brageloneさんから、次のような質問をいただいた。
《絶対性》は 数学が扱いますか?
どういう数式になりますか?
(無限大は 相対性の範囲内ですよね)。
要するに 神は 数学でどう表わしますか?
そこで、少し、このことについて考えてみた。
☆《絶対性》は 数学が扱いますか?
◇「絶対値」や「絶対収束」など、「絶対」という言葉がついたものはありますが・・・。
たとえば、
「絶対収束」は、収束する数列などの中で、数学的な扱いが容易な、その意味で、質(たち)のよいものの意味で、非常に強い制限を設けたものです。
したがって、哲学でいう《絶対》とは真逆の《限定》や《制限》の意味。そうでないと、扱いきれないんです。手に負えない。
万能の天才と言われるライプニッツですら、哲学、形而上学、特に、神の絶対性などを論じようとするときには、数学は持ちこもうとはしませんでした。
パスカルやデカルトも、哲学するときには、数学は使っていないでしょう。
現代の数学ですら、無限は有限の否定としてしか表すことができません。
たとえば、集合Aの最大数uがあるとすれば、最大数uの定義は、次のようになります。
あるuが集合Aに属し、かつ、Aに属するすべての要素aに対して、
a≦u
であるとき、uを最大数(最大元)という。
記号で書くと、
∃u∈A,∀a∈A : a≦u
であるとき、uを最大数という。
これを否定すると、
∀u∈A, ∃a∈A : a>u
これを翻訳数学語に訳すと、
集合Aに属す全てのuに対し、
a>u
である、集合Aの要素xが存在する。
これが、最大数がない、無限の定義(?)。
そしてこのことを用いると、
Aを自然数全体の集合Nとするとき、Nに属するすべてのnに対して
n<n+1
が成立するので、自然数には最大数(最大元)がない。
だ・か・ら、
自然数の集合は無限集合。
数学でできることはこの程度のものです。
ですから、数学に過剰な期待を寄せないほうがいいと思いますよ。
◇プラトンのイデア説をヒントにするならば、
ヒトやヒトの住む不完全な現象世界を1次元、まぁ、x軸、
神を2次元のxy平面と考える。そして、神の動き、ハタラキを2次元平面の曲線とし、x軸へのその影を神(のハカライ)とする。
我々が知りうるのは、曲線(?)ABCのx軸のへ影である赤線で示されたA'B'部分のみです。
BからCの部分は、y軸に平行に移動しているけれど、x軸に住む我々には、この部分の影はB'だから、この間、静止しているようにしか見えない。
実際は、xy軸平面上にある△ABCの周上を移動したなど、想像することもできない。
たとえ、想像できたとしても、それは、あくまで、無数に存在する1つの可能性であって、それを1つに確定することはできない。このように簡単な△ABCすら特定できない。
したがって、我々(の知識)、そして、現象世界が不完全という、それ以前のお話。
これが影の世界、現象世界のもつ宿命的な性質ということになるのでしょう。
プラトンのイデア説を手がかりに考えるのならば、あくまでもアナロジーですが、上のように考えることができるのかもしれません。
無限ということに注目するならば、冪集合(べきしゅうごう)の冪集合、さらに、その冪集合、そのまた・・・、と無限に連鎖する、冪集合の系列。
ですが、
神を、実数全ての集合、数直線と捉えるのが、一番、筋がいいのかもしれませんね。
そうすれば、
(−∞,∞)で表せる数直線は(−1,1)(−1<x<1)にコンパクトに収めることができます。
という関数は、開区間(−1,1)から実数全体の集合Rの上への1対1対応(全単射)なので、この逆関数を用いると、Rをそっくりそのまま開区間(−1,1)に写すことができます。しかも、この関数f(x)は連続関数なので、この変換によって、この2つの空間の(数学的な)性質はほとんど変わらない。
そして、このことは、「神は全体であると同時に、その部分である万物に宿りうる」ということを示している。
華厳の《重重無尽》やウパニシャッドの《梵我一如》の世界ですね。
重重無尽
https://www.weblio.jp/content/%E9%87%8D%E9%87%8D%E7%84%A1%E5%B0%BD
実数の連続性を使えば、無限集合のマジックを使えば、こんなことも言えちゃうのかもしれません。
ですから、「実数の連続性」が適当なのではないか、という気がします。
ただし、集合論的に言うと、
実数全体の集合Rの冪集合の濃度(集合の要素の個数)は実数全体の集合の濃度より大きいので、実数で形容される神よりも大きいものがあることになりますが・・・。
神は万能である。
神さまは万能だから、神さまに壊せないものだって、神さまは作ることができる。
これは神が万能であることに反する。故に、(万能である)神さまは存在しない。
これと似たような、パラドキシカルな状況に陥ってしまいます。
私はそんな大人げないことはしませんが、
某Q&Aの哲学カテに登場する、理系出身のうるさい回答者から、こういった反論、批判が予想されるので、これは、あくまで、アナロジーですよ。それ以上でもそれ以下のものではありません。
ライプニッツの態度にならっているわけじゃないけれど、
私が数学や物理を哲学に安易に持ち込まないこと、また、持ち込むことを何より嫌っていることを知っているはずなのに、イケズだな、ホント。
それに、
こういう話は、ddt³さんが得意ですよ。
と、ddt³さんに丸投げする(^^ゞ
お前ら、オレに教えろ!! [お前らに質問]
ちょっと、お前ら、次の定理の証明を教えろ。
定理 写像とすると、
教えてくれないと、
【証明】
云々
(証明終)
といった、世にも恐ろしい、証明になってしまうケロよ。
それでもいいケロか?
【証明((・・?)】
、さらに、とすると、
合成写像の逆写像はただ一つしかないので
である。
【証明((・・?)終」
【証明((・・?)」じゃ〜、なんか言葉が足りない気がして、スッキリしない、釈然としない。
ということで、
お前ら、俺にこの定理の証明を教えるケロ!
お前ら全員をオレの地獄行きへの道連れにしてやる!!