お前らに、とっても重要な、質問(3月27日) [お前らに質問]
お前らに、質問するにゃ。
X={1、2}、Y={a, b, c}、Z={α,β}とする。
そして、
XからYへの写像fを、f(1)=a、f(2)=b
YからZへの写像gを、g(a)=α、g(b)=β、g(c)=β
とする。
すると、XからZへの合成写像は
となる。
このXからZへの合成写像はは、XからZの上への1対1の写像、つまり、全単射だから、
という逆写像も存在する。
さてさて、ここで問題(^^)。
問題 このとき、写像の逆写像は存在するでしょうか。
そして、このとき、
は成り立つでしょうか。
ブラゲロからの質問への回答 [お前らに質問]
brageloneさんから、次のような質問をいただいた。
《絶対性》は 数学が扱いますか?
どういう数式になりますか?
(無限大は 相対性の範囲内ですよね)。
要するに 神は 数学でどう表わしますか?
そこで、少し、このことについて考えてみた。
☆《絶対性》は 数学が扱いますか?
◇「絶対値」や「絶対収束」など、「絶対」という言葉がついたものはありますが・・・。
たとえば、
「絶対収束」は、収束する数列などの中で、数学的な扱いが容易な、その意味で、質(たち)のよいものの意味で、非常に強い制限を設けたものです。
したがって、哲学でいう《絶対》とは真逆の《限定》や《制限》の意味。そうでないと、扱いきれないんです。手に負えない。
万能の天才と言われるライプニッツですら、哲学、形而上学、特に、神の絶対性などを論じようとするときには、数学は持ちこもうとはしませんでした。
パスカルやデカルトも、哲学するときには、数学は使っていないでしょう。
現代の数学ですら、無限は有限の否定としてしか表すことができません。
たとえば、集合Aの最大数uがあるとすれば、最大数uの定義は、次のようになります。
あるuが集合Aに属し、かつ、Aに属するすべての要素aに対して、
a≦u
であるとき、uを最大数(最大元)という。
記号で書くと、
∃u∈A,∀a∈A : a≦u
であるとき、uを最大数という。
これを否定すると、
∀u∈A, ∃a∈A : a>u
これを翻訳数学語に訳すと、
集合Aに属す全てのuに対し、
a>u
である、集合Aの要素xが存在する。
これが、最大数がない、無限の定義(?)。
そしてこのことを用いると、
Aを自然数全体の集合Nとするとき、Nに属するすべてのnに対して
n<n+1
が成立するので、自然数には最大数(最大元)がない。
だ・か・ら、
自然数の集合は無限集合。
数学でできることはこの程度のものです。
ですから、数学に過剰な期待を寄せないほうがいいと思いますよ。
◇プラトンのイデア説をヒントにするならば、
ヒトやヒトの住む不完全な現象世界を1次元、まぁ、x軸、
神を2次元のxy平面と考える。そして、神の動き、ハタラキを2次元平面の曲線とし、x軸へのその影を神(のハカライ)とする。
我々が知りうるのは、曲線(?)ABCのx軸のへ影である赤線で示されたA'B'部分のみです。
BからCの部分は、y軸に平行に移動しているけれど、x軸に住む我々には、この部分の影はB'だから、この間、静止しているようにしか見えない。
実際は、xy軸平面上にある△ABCの周上を移動したなど、想像することもできない。
たとえ、想像できたとしても、それは、あくまで、無数に存在する1つの可能性であって、それを1つに確定することはできない。このように簡単な△ABCすら特定できない。
したがって、我々(の知識)、そして、現象世界が不完全という、それ以前のお話。
これが影の世界、現象世界のもつ宿命的な性質ということになるのでしょう。
プラトンのイデア説を手がかりに考えるのならば、あくまでもアナロジーですが、上のように考えることができるのかもしれません。
無限ということに注目するならば、冪集合(べきしゅうごう)の冪集合、さらに、その冪集合、そのまた・・・、と無限に連鎖する、冪集合の系列。
ですが、
神を、実数全ての集合、数直線と捉えるのが、一番、筋がいいのかもしれませんね。
そうすれば、
(−∞,∞)で表せる数直線は(−1,1)(−1<x<1)にコンパクトに収めることができます。
という関数は、開区間(−1,1)から実数全体の集合Rの上への1対1対応(全単射)なので、この逆関数を用いると、Rをそっくりそのまま開区間(−1,1)に写すことができます。しかも、この関数f(x)は連続関数なので、この変換によって、この2つの空間の(数学的な)性質はほとんど変わらない。
そして、このことは、「神は全体であると同時に、その部分である万物に宿りうる」ということを示している。
華厳の《重重無尽》やウパニシャッドの《梵我一如》の世界ですね。
重重無尽
https://www.weblio.jp/content/%E9%87%8D%E9%87%8D%E7%84%A1%E5%B0%BD
実数の連続性を使えば、無限集合のマジックを使えば、こんなことも言えちゃうのかもしれません。
ですから、「実数の連続性」が適当なのではないか、という気がします。
ただし、集合論的に言うと、
実数全体の集合Rの冪集合の濃度(集合の要素の個数)は実数全体の集合の濃度より大きいので、実数で形容される神よりも大きいものがあることになりますが・・・。
神は万能である。
神さまは万能だから、神さまに壊せないものだって、神さまは作ることができる。
これは神が万能であることに反する。故に、(万能である)神さまは存在しない。
これと似たような、パラドキシカルな状況に陥ってしまいます。
私はそんな大人げないことはしませんが、
某Q&Aの哲学カテに登場する、理系出身のうるさい回答者から、こういった反論、批判が予想されるので、これは、あくまで、アナロジーですよ。それ以上でもそれ以下のものではありません。
ライプニッツの態度にならっているわけじゃないけれど、
私が数学や物理を哲学に安易に持ち込まないこと、また、持ち込むことを何より嫌っていることを知っているはずなのに、イケズだな、ホント。
それに、
こういう話は、ddt³さんが得意ですよ。
と、ddt³さんに丸投げする(^^ゞ
お前ら、オレに教えろ!! [お前らに質問]
ちょっと、お前ら、次の定理の証明を教えろ。
定理 写像とすると、
教えてくれないと、
【証明】
云々
(証明終)
といった、世にも恐ろしい、証明になってしまうケロよ。
それでもいいケロか?
【証明((・・?)】
、さらに、とすると、
合成写像の逆写像はただ一つしかないので
である。
【証明((・・?)終」
【証明((・・?)」じゃ〜、なんか言葉が足りない気がして、スッキリしない、釈然としない。
ということで、
お前ら、俺にこの定理の証明を教えるケロ!
お前ら全員をオレの地獄行きへの道連れにしてやる!!
今日のアニソン、「ブレンド・S」から『ぼなぺてぃーと♡S』 [今日のアニソン]
第6回 直積 [集合論入門]
平面上に互いに直交する2直線をとり、それぞれをx軸、y軸と名づけ、それをもとに座標平面上の点に座標(a,b)を与えることができる。
この座標においてもっとも重要なことは、(a,b)と(b,a)の区別である。何故ならば、(a,b)が表す点と(b,a)が表す点は、a=bでないかぎり、異なる点であるからである。
一般に、2つのものa、bから作られた(a,b)を、aとbから作られた順序対という。そして、2つの順序対(a,b)と(a',b')とが等しいのは、a=a'かつb=b'と定義する。
(a,b)と(a',b'が等しいことを
と表し、(a,b)と(a',b')が等しくないことを
と表す。
A、Bを集合とする。Aの要素aとBの要素bから作られた順序対(a,b)全体の集合を、AとBの直積といい、記号A×Bで表す。
すなわち、
例 A={1, 2}、B={a, b, c}ならば
である。
Aの要素の数がm、Bの要素の数がnならば、直積A×Bの要素の数はmnである。
AとBのいずれかが空集合であるとすると、Aの要素とBの要素とから作られる順序対は存在しない。したがって、このとき、直積A×Bは空集合である。
すなわち、
さらに、n個の集合について、各から1つずつ要素をとり、組を作る。そして、とが等しいのはの場合に限ると定義する。このような組の全体の集合を、の直積といい、と表す。
特に、であるとき、であらわす。
(補足)
さらに、I={1, 2, 3, ・・・, n}とし、
などと書く場合がある。
そして、いきなり、選択公理!!
選択公理
Λ≠∅かつすべてのλ∈Λに対して、集合であるならば、
である。
(1)からの類推として、選択公理は直観的に明らかだが・・・。
定理11 A、B、Cを任意の集合とするとき、次のことが成り立つ。
【証明】
(証明終)
AからBへの写像をfとすれば、Aの任意の要素aとfによる像f(a)から作られる順序対(a,f(a))の全体の集まりは、直積A×Bの部分集合になる。これをfのグラフといい、記号などで表す。
すなわち、
である。