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サルデーニャ島の「カント・ア・テノーレ」という音楽 [今日のクラシック]

基本的に、ネムネコは、TVはほとんど見ないのだけれど、食事中にたまたま見たお正月番組でイタリアのサルデーニャ地方に伝わる「カント・ア・テノーレ」という民族音楽(?)の存在を知った。
YouTubeに、幸い、「カント・ア・テノーレ」の曲があったので、お前らも一緒に聞くにゃ。


ネムネコの耳には、この曲は、イタリアの曲というよりも、アラビア音楽に近いものに聞こえてしまう。


この曲を聞くと、モンゴルのホーミーに近い発声法も聞き取ることができて、なんとも不思議な音楽だケロね。


日本語のサイトにはカント・ア・テノーレについて書かれたものが殆どないし、英語のものもないようなので、調べようがなく困っているにゃ。
イタリア語を読めたら、
 Canto a tenore
 https://goo.gl/szdPiq
から何がしかの情報を得ることができるのだろうけれど、ネムネコはイタリア語なんて読めないにゃ。Googleの自動翻訳機能を使って日本語に翻訳したものを読んでもチンプンカンプンで何が書かれているかサッパリわからないにゃ。
何でもその起源はキリスト生誕以前に遡る事ができるみたいなことが書かれているけれど、本当にそんなに古い音楽なのだろうか。
イタリア半島はともかく、地中海沿岸の島々はイスラーム文化の影響を強く受けているから、実は意外に新しいのかもしれない。新しいと言っても、9〜11世紀くらいになるだろうが・・・。(イタリアのシチリア島は9〜11世紀、アラビア人によって征服され、その支配下にあった)
この人たちの顔もどことなくアラビア系のヒトたちの面影があるし、独唱の部分はどことなくクルアーンの詠唱を彷彿させるしね。



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スペインの世界的なオペラ歌手 カバリエさん死去 NHK [今日のクラシック]


つい最近、このブログでカバリエの歌う動画を取り上げたばかりなのに・・・。
カバリエの死を悼み、


この歌は1990年のものだから、カバリエが57歳のときの歌声。年齢を重ねると、声質が重くなり、この手の曲と声が合わなくなるんだけれど、カバリエはそうした声の衰えを感じさせず、見事な歌唱だと思う。この動画を見ていると、このマツコ・デラックスのようにな化け物じみたオバちゃんがだんだん可愛く見えてくる、年頃の若い娘に見えてくるんだから、スゴイもんだケロね。

こちらの動画は1987年のバルセロナ五輪の記念イベントのもの。


テノールのプラシド・ドミンゴやホセ・カレーラスとともにスペインを代表するクラッシク音楽の歌手であった。


こちらの動画は、2016年だから今から2年前の83歳のときの歌声。



まったく年齢を感じさせない声と歌唱に驚いてしまうにゃ。ヤッパリ、このヒトはバケモノだったんだな〜。Montserratでどこか化け物、Monsterを彷彿させる名前だし・・・。

なのですが、声が綺麗で、これといった特徴、クセも持たないので、意外にクラシックファンの記憶に残らない歌手であったのも事実。


カバリエは、何でも歌えるけれど、「この曲ならばカバリエに限る」といった、はまり役というか代表作がないんだよね。普通、カバリエくらいの世界的な歌手ならば、録音も多いので、、1つ2つくらいはあるものなのですが・・・。そして、その録音もクラシックの音楽評論家(日本のボンクラ音楽評論家ではなく、欧米の音楽評論家)からあまり評価されなかったんだよね。

カバリエと同じく、結構、年齢がいっても歌い続けた世界的な名ソプラノ、ビルギット・ニルソンとは対照的。
ビルギットおばあちゃん、78歳のときに、メトロポリタン歌劇場に登場したときの歌。


年齢には勝てないね。さしものビルギットおばあちゃんの歌も随分衰えているけれど、それでも、メトロポリタン歌劇場のお客さんの敬意と熱狂ぶりに驚くばかりだにゃ。

さすがにこれでは比較にならないので、全盛期の二人の歌唱の比較。曲は、プッチーニのオペラ「トスカ」から有名な『歌に生き、愛に生き』です。



ニルソンは20世紀を代表するソプラノの一人で、比べる相手が悪すぎると言えば悪すぎるのだけれど、こうやって比べて聞くと、歌の持つ求心力、訴求力、説得力が圧倒的に違いすぎるような・・・。決して凡庸な歌手ではないのですが、カバリエの声は、やっぱ、ちょっと細い、薄い。と同時に、チャーミングで、技術的にも非常に高いのだけれど、プロの音楽家として最も大切なもの、ヒトの心を強く打ち感動させる何かが欠如しているように思えてならないのであった。、

こうした印象の違いは、カバリエはリリック・ソプラノ(叙情的なソプラノ)、年がいってからはそれよりも重いリリコ・スピント、対して、ニルソンは真性のドラマティック・ソプラノ(重い、劇的なソプラノ)と、声質、役の違いによるところもあるのかもしれないけれどね。
参考に、カバリエと同じくリリコ、または、リリコ・スピントの20世紀を代表するソプラノ歌手の一人であるテバルディの歌を紹介するにゃ。



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天才と梅毒…シューベルトもゴッホもニーチェも、神を感じる傑作創作時は梅毒だった Bisiness Journal [今日のクラシック]

天才と梅毒…シューベルトもゴッホもニーチェも、神を感じる傑作創作時は梅毒だった

●独特な世界観を生みだしたシューベルト

 さて、コロンブスの時代から約300年後の1800年代ヨーロッパ。あるひとりの作曲家が梅毒にかかりました。彼の名前は「シューベルト」。歌曲『魔王』や『野ばら』『未完成交響曲』で有名な作曲家です。彼が梅毒に感染したのは1818年といわれていますが、潜伏期があるので、実際に梅毒の診断を受けたのは、1822年です。
(中略)

 僕は、小学生の時に初めて聴いた時から、そして実際に指揮するようになってからも、毎回、この交響曲に接するたびに、自分が不思議な感覚を持つことに気づいていました。なんだか精神が浮遊しているような、幻の世界の中に音が鳴っているような不思議な感覚です。これは、それ以前のシューベルト作品では感じられない不可思議な感覚であり、『未完成交響曲』最大の魅力でもあります。


ハテナ、はてな、はてな(・・?
あっ、そうですか・・・。


さらに、第7(8)番ハ長調D.944の『ザ・グレート(大交響曲)』を♪


同じく梅毒仲間のニーチェとの繋がりで言うならば、アポロンとディオニュソス的要素が混在するこの曲を忘れてはいけないんだろうね。狂気と異様な興奮、熱狂に満ちている、ディオニュソス的な四楽章を、是非、聞いて欲しいにゃ。

シューベルトは18歳の頃に『魔王』を作曲している。


この曲は音楽史上の大事件だからね〜。シューベルトに続くロマン派音楽の進むべき方向性を決定したといっても過言ではないこの偉大な曲を、ほとんど思いつきで作曲してしまうんだから、シューベルトという作曲家の天才ぶりは計り知れない。
梅毒になる、はるか以前から、この作曲家はぶっ飛んでいて凡人の理解を寄せ付けないんだケロ。そもそも最初から常識がまったく通用しない得意な存在なんだから、晩年間近にかかった梅毒とこの作曲家の天才ぶりを結びつけるのはあまりに安易だと思うね。説得力がなさすぎるにゃ。


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ショパン時代のピアノ使いコンクール 盛岡出身の川口さん2位 NHK [今日のクラシック]


よくわかりませんが、たぶん、この演奏は川口成彦のもののようです。それほど、たいした演奏だとは思えないのですが・・・。と言いますか、プロのクラシックのピアニストとしては決してうまくなくて、下手の部類に入るのだと思う(^^ゞ
これが管楽器だったら、現代楽器と比較し操作性が著しく劣るのでこの部分を考慮に入れないといけないけれど、ピアノだから現代のそれと大きく変わらないと思うにゃ。



18世後半から19世紀の前半に使用されていたピアノのレプリカで演奏をするという点を除き、聞くべきところはないと思う。1980年代にブレイクした古楽器、オリジナル楽器による演奏の流れなのでしょうが、最近、こういうのがホント増えたよな。
この点については、専門家であるTastenkastenさんが何か書いてくれると思うので、Tastenkastenさんのコメントが届いたら、それを紹介することにするにゃ。

川口成彦の公式Webサイトはコチラ↓
 https://naru-fortepiano.jimdo.com/

このサイト↓にはこの動画が紹介、広告されていたので、それもあわせて紹介するにゃ。


ショパンのピアノ協奏曲を演奏して、ショパン古楽器コンクールで2位になったそうなので、ショパンのピアノ協奏曲を。



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今日のクラシック、アーサー・サリヴァン作曲 交響曲ホ長調『アイリッシュ』 [今日のクラシック]

今日のクラシックは、19世紀後半に活躍したイギリスの作曲家、アーサー・サリヴァン作曲の交響曲ホ長調『アイリッシュ』です。


『アイリッシュ』というタイトルから容易に想像がつくと思いますが、メンデルスゾーンの交響曲第3番『スコットランド』を意識した曲で、1楽章はメンデルスゾーン的。非常にメロディアスで、難しいことを考えることなく、気楽に聞けます。


しかし、2楽章、3楽章は、凡庸で間延びしている感が強いので、曲が進むに連れて飽きてきて、聞くのが辛くなった。ではあるが、イギリスの民族音楽的な色彩は、3楽章に最もよく現れているのではないか。
そして、第4楽章は、再び、メンデルスゾーン的になり、この作曲家の独自性、個性といったものを感じることができなかった。
シューマン、シューベルトの影響を指摘する音楽評論家、研究者もいるようですが、 全体的に、アーサー・サリバンの交響曲は劣化版メンデルスゾーンといった感じ。しかも、作曲の様式も初期ロマン派の枠内にとどまっていて、サリヴァンが生きていた時代からしても、既に時代遅れの音楽だよね〜。

サリヴァン(1842〜1900年)、ドヴォルザーク(1841〜1904年)だから、サリヴァンはドヴォルザークと同世代の作曲家。
サリヴァンの交響曲『アイリッシュ』が発表されたのは1866年で、これとほぼ同時期の1865年にドヴォルザークは習作臭の強い交響曲第2番(1865年)を作曲しているので、この2曲をあわせて聞いてみると面白いのかもしれない。


この2曲を聴き比べると、曲自体は単純であるが、曲のまとまりの良さ、完成度などは、むしろ、サリヴァンの方に軍配が上がるのかもしれない。
『アイリッシュ』はサリヴァンが20代前半の曲であり、後に花開く才能の片鱗は十分に窺えるが、有名な大作曲家・ドヴォルザークもこの年齢のときにはこの程度の曲――作曲約20年後の1887〜1888年に、冗漫な箇所を削除するなど改訂。それでもまだ冗漫で、唐突感のある箇所が多数存在し、ごった煮感が強い――しか作れなかったのだから、『アイリッシュ』一曲をもって、作曲家サリヴァンを評価してはいけないのだろう。

アーサー・サリバンは、この交響曲『アイリッシュ』の他に、オペレッタや劇付き音楽などを数多く作曲しており、その中に、日本を題材にした『ミカド』というオペレッタがある。



興味のあるヒトは、YouTubeの上の動画を見るといいと思うにゃ。
衣装以外、日本的な要素はありませんが、オペレッタというよりもミュージカルに近いので、見やすい、聴きやすい動画ですよ。

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今日のクラシック、シベリウス作曲『レンミンカイネン組曲(4つの伝説)』 [今日のクラシック]

今日のクラシックは、シベリウス作曲『レンミンカイネン組曲(4つの伝説)』です。


この曲の第3曲(または第2曲)の『トゥオネラの白鳥』は有名だし、シベリウスのこの曲の存在、ならびに、曲名は知っていた。しかし、ドイツ・オーストラリア音楽を好んで聞くネムネコは、これまでこの曲・全曲を聞いたことがなかった。
――7つの交響曲、ヴァイオリン協奏曲など有名どころは一通り聞いたけれど、実は、シベリウスの曲はあまり好きじゃない!!これは好みの問題だからしょうがない(^^ゞ――

なのですが、ネムネコの秘密の情報源でこの曲が取り上げられ、しかも、詳しい楽曲解説がなされていたので、今日のクラシックで取り上げることにした。

 第1曲の『レンミンカイネンと島の乙女たち』は、全4曲の中でも最もワーグナー的な作品です。ワーグナーの音楽の特徴を言うときによく使われる言葉に「無限旋律」というものがあります。これは、ワーグナー以前の古典派的な音楽における旋律は、決まった長さの楽節を規則正しくつなぎ、一定の箇所で終始させ、音楽の各部分の区切りがはっきり認識できるような構造にするものであったのに対し、どこまでも無限に紡ぎ続けていく旋律ということで、まさに後期ロマン派の音楽の特徴と言えるものです。シベリウスのこの作品でも、特にクライマックスへ向かう箇所では、限られたモティーフを有機的につなぎ合わせながら、息の長い、緊張感に満ちた音楽を作り出しています。和音の処理についても同様で、不協和音はすぐには協和音に解決せず、さまようように転調を重ねながら、重厚なドラマを描き出していきます。練りに練られた作品だけあって、この曲の緻密さと説得力、迫力にはただならぬものがあり、疑いなく名曲中の名曲と言ってよいでしょう。比較するとすれば、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の、かなえられない愛に苦悩する第3幕の音楽や、神秘劇のような『パルジファル』の音楽でしょう。物語の内容的にも、官能を表現する音楽であるという点でワーグナーと共通する部分がありますが、もう一つ、シベリウスは自然主義の文学にひかれていて、ゾラなどを愛読した時期もあり、人間の愛憎の感情を深く掘り下げるところは、こういったものからの影響もあるのかも知れません。

 第2曲は、ここでは紹介する録音に従って『トゥオネラのレンミンカイネン』という順番になりますが、情景描写のための音楽的効果は、ワーグナーの『ニーベルンクの指輪』を思い起こすところがあります。ただし、作曲技法的にはワーグナーよりも新しい、現代的な音の使い方もあり、印象派の作曲技法に通ずるところもあります。シベリウスは、ワーグナーだけでなく、リヒャルト・シュトラウスやマーラーの音楽もそれなりに研究していましたが、『四つの伝説』を最初に書いた当時どれだけ知っていたかが疑問とはいえ、この曲の終盤などは、一般の音楽マニアに、シュトラウスかマーラーの曲だと言って聞かせてもすぐには気付かないかもしれないと思います。もちろん、あくまでもシベリウスの独自の音楽世界なのですが。

 第3曲『トゥオネラの白鳥』は、シベリウスを代表する名曲の一つですが、悲しみに満ちた名旋律を演奏するイングリッシュホルンの名曲としても有名です。その音楽は神秘に満ちていますが、弦楽器のパートの書き方が非常に緻密で、技法的にはかなり現代的でさえあります。ベックリンの神秘的な絵画、『死の島』を思い起こす人も多かったようですが、同じ絵画にインスピレーションを得て書かれたラフマニノフの交響詩『死の島』とも若干共通する箇所があるのは面白いことです。この曲のもっともすごい点は、自然の情景描写が壮絶で、その空気感までが伝わってくるリアルさです。もちろん、「黄泉の国」という神話的な意味の暗示という点でも真に迫るものがあり、これがオペラとして完成されていたら、どのような舞台になったのかと思うと、それもまた恐ろしい気がします。イングリッシュホルンのテーマも名旋律ですが、クライマックスで弦楽器全員によって演奏される骨太の旋律も、心の奥まで染み渡る嘆きの歌です。

 第4曲の『レンミンカイネンの帰郷』は、背景とされる物語は結構長いのですが、その一部を表現しただけの短いフィナーレです。シベリウスの作品によく見られる早いテンポでの疾走感による、実にスリリングで効果的な終曲です。

引用元:ネムネコ秘密の情報源

この解説にあるように、第1曲、第2曲(通常は第3曲)は、かなりワーグナー的であり、そして、第2曲はマーラー的な響きさえあるけれど、後の交響曲を予感させるシベリウスの特徴を聞き取ることができるように思う。
有名な『トゥオネラの白鳥』は、ドビュッシー的で印象主義音楽的な色合いが非常に濃いよね。その意味で第1曲、第2曲とは印象を異にしており、また、描写も緻密。


『4つの伝説』の前に作曲された組曲『カレリア』とは、曲の充実度、完成度が違うように思う。


なお、引用文中に出ているラフマニノフの『死の鳥』とは、次の曲だにゃ。



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今日のクラシック、ファリャ作曲『アトランティーダ』 [今日のクラシック]

今日のクラシックは、ファリャ作曲『アトランティーダ』(モセン・ハシント・ベルダゲールの詩に基づく序曲と3部からなる舞台カンタータ)です。


約80分の大曲ですが、非常に充実した曲なので、決して、全曲を聞き通すことが苦にならない名曲だと思います。
作曲技法的には、中期〜後期ロマン派的な作曲技法が用いられているようですが、ファリャならではの、スペイン舞曲のような布のよい鋭いリズムが現れたり、ドイツのロマン派音楽にはない新しい響きも随所に現れていて、聞く者を飽きさせない。これくらいの大曲になると、通常、どこかに弛緩したところがあって、「なんか、たるいな〜」と思ったりするものですが、そういった箇所はないようです。これだけでも、ファリャという作曲家の才能が並々ならぬ非凡なものであったことの証明になるのではないでしょうか。
世俗的なカンタータなども存在しますが、カンタータといえば、キリスト教と深い関係がある宗教的な音楽だから、この『アトランティーダ』もそこはかとなく宗教音楽的なものを感じさせるようです。

ところで、ネムネコの秘密の情報源に、ファリャについての詳しい説明があったので、ここで紹介します。

ファリャは、単純に印象派の作曲家という分類にはならないですね。最初から印象主義的技法と民族音楽の融合で、独自の様式を作っていますので、もしこれを印象主義に分類するなら、ストラヴィンスキーも、『火の鳥』だけではなく、『ペトルーシュカ』も、そして『春の祭典』でさえも印象主義の語法の延長といえます。しかし、これらの作品には、「原始主義」という別の名称があります。もちろんこれは、技法からくる命名ではなく、題材が古代で、原始的なリズムを強調しているからというだけですが。

ファリャの作品は、技法的にはもちろん印象主義の作曲家の影響はかなりはっきりあります。たとえば、『三角帽子』組曲の、開始から17分20秒当たり以降、ドビュッシーの『イベリア』や、ラヴェルの『スペイン狂詩曲』『ラ・ヴァルス』などとよく似た書法があります。そして、『ラ・ヴァルス』はウィーンへのオマージュなので別ですが、『イベリア』と『スペイン狂詩曲』は、題名が示すように、スペインが題材です。つまり、フランスの印象主義の作曲家が、そもそもスペインの民族音楽の要素を取り入れることが多かったということがあります。それにラヴェルは、父親がスイス人、母親がバスク人ということで、もともとスペイン系です。シャブリエにも、狂詩曲『スペイン』がありますし。また、ファリャの『スペインの庭の夜』なども、技法的にはかなり印象主義的な作品といえます。

『クラブサン協奏曲』も昔から知っているのですが、新古典主義的な作品はこれしかないと思っていました。そもそも作品数があまり多くなく、オペラとバレエが2曲ずつあるほかは、作品表に載っている作品があまりにも少ないのです。ウィキペディアのカタロニア語版に詳しい作品表が出ていますが、やはり、初期の小品や歌曲を除くと、作品は非常に少ないです。未完成に終わって、エルネスト・アルフテルによって完成された舞台用カンタータ『アトランティーダ』というのが新古典的な作品なので、『クラブサン協奏曲』以降、新古典主義に移行したのは間違いないでしょう。
 (ネムネコ、秘密の情報源)

ネムネコだけが知るにはあまりにもったいないので、長々と引用。
『アトランティーダ』という名曲、ともども、この文章は世に埋もれさすのはあまりにもったいなさすぎる!!

なお、ここに登場する、『クラヴサン協奏曲』とは


この曲は、新古典主義的な語法で作曲されています。

そして、参考までに、新古典主義期のストラヴィンスキーのこの曲も合せて紹介!!



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今日のクラシック、ファリャ作曲、バレー音楽『三角帽子』第1組曲&第2組曲 [今日のクラシック]

今日のクラシックは、スペインの作曲家、ファリャ作曲のバレー音楽『三角帽子』第1組曲&第2組曲です。


肩肘を張ることなく、気楽に聞くことができる名曲です。聞けばすぐにわかる通り、スペインの民族音楽的な色彩の強い曲。
全曲通して、非常にメロディアスで、色彩感とリズム感に富んでおり、さらに劇的な変化があって、聞く者を片時も飽きさせることがない。だ・か・ら、「この曲を名曲と呼ばずして何を名曲と呼ぶのか」と思うのですが、いわゆる、クラシックの通の間では、色物扱いされるかわいそうな曲でもあります。コアなクラシックファンの間で、迂闊にも、「この曲は名曲。私はこの曲が大好きだ」と口を滑らしてしまうと、間違いなく白い目でみられてしまいます。モーツアルトやベートヴェンといった高尚な曲を理解できない俗物の烙印を押されてしまうのです(^^ゞ。
――クラシック名曲100選には絶対に選ばれない曲で、交響曲や協奏曲を除く管弦楽曲100選ならばセレクトされる程度の扱い。ドイツ・グラモフォンBEST100にはファリャのこの曲はセレクトされておらず、デッカのベスト100には収録されています。――

この『三角帽子』の他に、ファリャには、この『三角帽子』の他に、バレー音楽『恋は魔術師』という代表曲が存在します。


『恋は魔術師』あたりになると、録音が少なく、しかも、コンサートで演奏される機会もほとんどないので、クラシックファンの中でも、意外に全曲聞いた人は少ないのかもしれないですね〜。
なのですが、第8曲目の「火祭の踊り」はおそらく聞き覚えのある曲のはずで、これを聞くと、きっと「あ〜っ、この曲か」と思うはずです。


ファリャは、フランスの印象主義音楽の影響を受けた、印象主義的な作曲家ということになっておりますが、この分類が正しいのかどうか、大いに疑問に思っています。

印象主義音楽の代表曲:ドビュッシー作曲『牧神の午後への前奏曲』


ファリャよりも、ストラヴィンスキーの初期作品の方がよほど印象主義音楽的だと思うのですが、何故か、ストラヴィンスキーは印象主義的な作曲家に分類されません。


ストラヴィンスキーくらいのビックネームになると、他の作曲家とは異なる、特別扱いを受けるのでしょうか。

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今日のクラシック、シベリウス作曲『交響詩フィンランディア』 [今日のクラシック]

今日のクラシックは、シベリウス作曲の『交響詩フィンランディア』です。


この曲は、日本ではクラシック音楽の入門者向けの曲とされており、『フィンランディア』が好きと言うと、いわゆるクラシックマニアと呼ばれる通のヒトたちから「ふんっ、素人が」と鼻であしらわれる曲でもあります。

ということで、「こんな曲は、改めて、取り上げるまでもないだろう」と苦情が殺到するかもしれませんが、ネムネコの秘密の情報源にこの曲の詳しい解説が出ていたので、解説の方も紹介します。


 この作品も、シベリウスが自国フィンランドの歴史や文化に目覚めた後の作品です。フィンランドは、13世紀ごろから19世紀初頭までスウェーデンの支配下にあり、その後はロシアに服属しました。スウェーデン時代から大公国としての待遇はあったものの、ロシア皇帝ニコライ一世の時代以降自由が次第に奪われ、ロシアの属領化が進みます。それとともに、フィンランドの独立愛国運動が高まりました。そんな中、1899年11月3日から5日にかけて、「報道の記念日」という催しがフィンランド各地で行われました。新聞の発行禁止で職を奪われたジャーナリストたちの年金基金設立を目的として謳っていましたが、言論の自由と民族の団結を訴えるものです。そこで、活人画による舞台劇、『歴史的情景』が上演されることになり、シベリウスはこの劇の伴奏音楽を作曲します。全部で六つの情景から成る作品で、その最後の曲、『フィンランドは目覚める(Suomi herää)』が、交響詩『フィンランディア』の原曲です。ロシア官憲は、愛国心を駆り立てるこのSuomiと題する曲を危険視し、フィンランド国内での演奏を禁止しました。しかし、ロシアの目の届かないほかの国で、『祖国』、『即興曲』のような題名に変えて上演され続けました。

 中間部のメロディーは、『フィンランディア讃歌(Finlandia Hymn)』として知られています。のちにこのメロディーだけ歌詞をつけて合唱曲に編曲され、フィンランドの第2の国歌のようになっていますが、フィンランド以外でも別の歌詞をつけて使われました。このメロディーについては議論がありますが、これはあとで改めて触れます。そろそろ曲を聴きたいと思いますので、最も知られた形である、オーケストラのみによる交響詩『フィンランディア』の版をまず取り上げます。曲の構成は明快で、関連性の強いいくつかのモティーフを使った、序奏付きの三部形式のような形の作品です。シベリウス研究家のエルンスト・タンツェンベルガーは、冒頭の金管楽器のモティーフを「苦難のモティーフ」、そのあとに出てくる16分音符の速い連打による金管楽器のモティーフを「闘争の呼びかけのモティーフ」、テンポがアレグロと急速になった箇所で低音に出る同音型の反復を「闘争の呼びかけの第二のモティーフ」、その直後の華やかなモティーフを「祝典へのモティーフ」と説明しています。その後曲は静まり、『フィンランディア讃歌』の中間部に入りますが、このメロディーも、前のモティーフから引き出されたものです。このあとの部分は、第三部というよりは、もうほとんど終始に向かうだけではありますが、二つの「闘争の呼びかけのモティーフ」と「祝典のモティーフ」の三つを組み合わせ、圧縮しながらクライマックスへと向かって行き、最後にふたたび『フィンランディア讃歌』の一くさりが、金管楽器でコラール風に歌い上げられて、曲は終わります。
(引用元:ネムネコの秘密の情報源)


CDについている楽曲解説だって、ここまで詳しく解説しているものはなかなかない。したがって、この解説を読むだけで、この記事を見た甲斐があるというあると思う。

そして、この解説記事を読んだヒトは、『フィンランド讃歌』がどのような曲、歌詞か気になるに違いない。ということで、


フィンランド語は、主語+目的語+動詞の語形、つまり、SOV系の言葉なので、日本語にちょっと似ているにゃ。かつてスキージャンプで活躍したアホネンという選手がいたけれど、この例のように、何となく、日本語を彷彿させる単語や人名も、結構、多くあるようだケロよ。

だからというわけではないだろうけれど、日本人にはシベリウスのファンだというヒトが多いにゃ。フィンランド人を除くと、日本はイギリスについで、シベリウスの熱狂的なファンが多い国ではないのかな〜。
そして、ドイツなどの大陸のヨーロッパでは、シベリウスは意外なほどに人気がない。
そのため、カラヤンを除くと、有名どころの指揮者による、シベリウスの曲の録音物は少ないのであった。


オーマンディは大指揮者だったのかという点では議論が分かれるところだと思いますが、シベリウスの人気が世界的なものになる前の、早い段階で、シベリウス作品の演奏、録音に最も熱心だった世界的な指揮者は、間違いなく、オーマンディだったと思う。
上の録音は、1959年、ステレオ初期のもの。
とても、ステレオ初期とは思えない、素晴らしい音質の録音だにゃ。このことは特筆すべきことだと考える。
  ――まぁ、「オーマンディの録音は毒にも薬にもならない」という際立った個性、特徴があるが・・・――

さてさて、ネムネコの秘密の情報源に、『フィンランディア』の初稿による演奏が紹介されていたので、ここでも、紹介することにする。


聞いて違いはわかりにくいかもしれないけれど、6分30秒すぎからの終結部で違いをハッキリと聞き取れると思う。初稿と比較すると、最終稿はこの部分がスッキリとしていて、その分、聴きやすくなっているようです。


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今日のクラシック、アラム・ハチャトゥリアン作曲『交響曲第3番 ハ長調』 [今日のクラシック]

今日のクラシックは、アラム・ハチャトゥリアン作曲『交響曲第3番 ハ長調』です。


冒頭部に登場する15本のトランペットが奏でる壮大なファンファーレ、そして、その後に続く、嵐のようなオルガンの演奏。これは既存の交響曲の概念を破壊するに十分すぎる傑作。圧巻の一言に尽きる!!

その後、現れる東洋的な旋律。民族音楽をクラシックに持ち込む、アラム・ハチャトゥリアンの特徴がよく現れている。

そして、再び激しい曲調に・・・。

この交響曲第3番のように、曲の冒頭で、金管楽器が大々的にファンファーレを奏でる曲はないわけではない。その代表的な曲として、ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』をあげることができるだろう。


しかし、ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』には、祝典的な響きはあるが、また、民族音楽的な響きもあるが、ハチャトゥリアンの交響曲第3番のような激しさや狂気じみたものはない。

また、交響曲にオルガンを持ち込んだ例として、サン=サーンスの『交響曲第3番 ハ短調 オルガン付き』があるが、サン=サーンスの『オルガン付き』には、ハチャトゥリアンのような破天荒さはない。


オルガンという楽器を交響曲に持ち込んだ新しさはあるけれど、サン=サーンスは、伝統的な音楽の形式、様式の枠から外れるようなことは決してしない。
だ・か・ら、ハチャトゥリアンのこの曲が如何にぶっ飛んでいるか理解できるだろう。文字通り、破格――目立つほど、今までのしきたり、決まりを破ること――なんだケロよ、この曲は。

ネムネコの秘密の情報源には、ハチャトゥリアンの次の言葉が紹介されていた。

「私は何か大々的な荘厳な、ありきたりでないものを作曲したいとつねに考えていた・・・。表題を表示しなくても聴衆が私の言わんとしていることを感じてくれるような作品を書きたかったのだ。私は作品の中で、偉大な巨大な祖国に対するソビエト民族の喜びと誇りの気持ちを表現したかったのだ・・・。そこで大量のトランペットが出現し、オルガンが必要となり、オルガンを’宗教的な’本質から世俗的なものへ移行させてみたくなったのだ・・・。」


それはそれとして、ハチャトゥリアンの交響曲第3番の激しいオルガンの演奏を聞いたとき、ネムネコは、「宇宙戦艦ヤマト」のこの曲を連想した。


そして、「宮川さんは、ハチャトゥリアンのこの曲をお手本にし、この曲を作曲したのではないか」と思ったのであった。

なお、YouTubeには、この曲の初演時の歴史・記録的な録音があるので、最後に紹介します。


音質的には最悪、しかも、第2次世界大戦の終戦からそれほど時が経っていないので、オーケストラの状態もかなり荒れているけれど、冒頭で紹介したコンドラシンの指揮よりもこちらの方が音楽的に豊かだと思う。
コンドラシンの指揮は、たしかに、迫力と狂気に満ち満ちているけれど、ややもすると、一本調子すぎるように感じられる。一方、ムラヴィンスキーのこの録音、演奏を聞くと、コンドラシンの録音では感じられなかった音楽的な気付き、発見があるので、演奏としては、ムラヴィンスキーのこの録音の方が数段上なのではないのか。私には、こちらの方が断然面白く感じられた。


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