論理を使用する超〜初歩的な数学の問題 [お前らに質問]
論理を使用する超〜初歩的な数学の問題
問題 xとyを実数とするとき、
ならば、少なくともxとyの1つは1より大きいことを証明せよ。
お絵かきをすればこのことは明らかですが、お絵かきを証明と認めない数学の先生も多い。
そして、これを真正面から証明することは難しいかもしれない。
ってことは、あれだにゃ(^^)
「対位法」とよく似たネーミングの数学の証明法があったはずだにゃ。あれを使うにゃ。まぁ、背理法でもいいけれど・・・。
ただし、注意する点が一つある。「すくなくとも1つ◯◯である」の否定は、「すべて◯◯でない」だにゃ。
この言い方も誤解を招くか。
この命題は、
x>1をp、y>1をqで表し、結論を
とあらわすと、この否定は、
となり、したがって、「少なくともxとyの1つは1より大きい」の否定は、
「”x>1”でなく」、かつ、「”y>1”でない」
になる。
ペナルティー問題の解答例 [お前らに質問]
ペナルティー問題の解答例
まず、解答例を示す前に、お前らの罰を言い下すにゃ。
罰は「3時のおやつ3年分」をネムネコによこすように。
でなければ、お前ら全員まとめて「地獄流し」だにゃ。
ペナルティー問題
背理法は「p⇒q」を証明する代わりに
を用いて証明する方法である。
これらの命題は「pならばqである」と同値であることを証明せよ。
ここで、Oは恒偽命題を表す。
【解答例】
pならばq、すなわち、p⇒qは、
である。
また、
さらに、
(解答例終)
上の論理演算では、
さらに、
そして、恒偽命題の演算規則
などを使っている。
なお、恒偽命題は実数のゼロ0に該当するもの。
使用記号の説明をすると、「∧」は「かつ」、「∨」は「または」、「⇒」は「ならば」、文字(式)の上についている「バー」は「否定」を表す。
ddt³さんが公理(定理・法則)として取り上げた
は、論理計算をすると、
となる。
つまり、この推論は、pやqの真偽をにかかわらず常に正しい。
もっとうまい計算法があるかもしれないけれど・・・。
なお、ここで、Iは「常に真」である恒偽命題を表す。
すこし説明すると、
とおくと、
となり、これは無条件に真だケロ。
つまり、恒真ってわけ。
だって、この世界のすべての存在は「”ネムネコで無い”か”ネムネコ”」の2択だにゃ。
そして、
「この世界はネムネコ(とアリス)のために存在する」と同様に、排中律は宇宙の絶対の真理で、絶対に揺るがない!!
ところで、
がどこから出てくるかというと、
という命題の否定から出てくるんだケロ。
つまり、背理法は、
という矛盾を暗に利用しているというわけ。
ただし、
ddt³さんの話は二重否定やもろもろの論理法則成立以前の話だから、こうした論理計算は許されないにゃ。
ddt³さんの話は、これらの論理法則の基礎を与えるお話なんだよね。
男の子のプリキュア登場 「遂に…」ネットで話題 朝日 [ひとこと言わねば]
男の子もプリキュア――。人気アニメ「プリキュア」シリーズで初とみられる男の子のプリキュアが登場。ネット上で話題を呼んでいます。https://t.co/DUqx5J23Ba pic.twitter.com/zTPPdmI7yT
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) 2018年12月2日
最新アニメですと「ベルゼブブ嬢のお気に召すまま。」に登場するダンタリオンだにゃ。ショタ、ショタ好きの女性をを前面に出しているにゃ。
【背理法と対偶関係】 [ddt³さんの部屋]
【背理法と対偶関係】
再び蒸し返しますか(^^;)。背理法と対偶関係は同じだと。ただし両者は厳密には違います。
以下、命題理論を手短にまとめます。ネコ先生は意味論っぽくまとめてますが(真理表)、自分は構文論的に行きます。そういうので学んだのと、そうやった方が多少とも代数的になると思うので。ただしここで醸すのは論理の雰囲気だけです。ここで論理を知ろうとは思わないで下さいね(^^;)。
論理は本来、数学で証明すべきものではないとも言えます。数学を始める以前に、それはやっとくべきものなのだと。なので以下で述べる事は、ある意味全て公理と考えてもらっても、そんなに間違いではないと思います。その最たるものが、
C1(三段論法)
A,Bを命題とする。AとA⇒Bが成立するなら、Bが成立。
です。Cの略記号(たぶんフランス語)は、推論法則を表します(法則だから公理みたいなもの(^^;))。
命題とはそこで扱う対象の間に成り立つ関係の事です(真偽は問わない)。命題を関係式と総称する本もあります。Aが成り立つ事を、Aが真と言う時もあります。
論理記号を導入します。「否定」を「~」,「または」を「ou」,「かつ」を「et」で表します。これらを用いるのは趣味です。自分がなれてるのと、IME辞書で出やすいので(^^;)。
定義1.
(~A)ouBを、A⇒Bで略記する。
これは含意の定義ですが、ここではその実際上の意味(意味論)は述べません。
定義とは、省略記法の事です。ただそれだけです。例えば「Aと(~A)ouBが成立するなら、Bが成立」を略記号⇒で表したのがC1です。この程度だと省略記法を用いてもあんまり変わりませんが、長い関係式では略記を使わないと、記述にメリハリがつかなくなり訳わかんなくなります。構文論と言っても、最後は意味ですからね(^^;)。
次の4つを、命題理論のシェマと言います。実際上は命題理論の公理なんですが、論理は数学を始める以前のものだという立場から、公理って言わないんだと思います。
(S1) (AouA)⇒Aは真。
(S2) A⇒(AouB)は真。
(S3) (AouB)⇒(BouA)は真。
(S4) (A⇒B)⇒((CouA)⇒(CouB))は真。
定義2.
Aet(~A)が成り立つとき、その理論は矛盾すると言われる。
C2(連言の分離法則)
(AetB)⇒Aと(AetB)⇒Bは真。
定義2.とC2から既に、次のC3を導けます。
C3(矛盾法則)
ある理論が矛盾すれば、その理論において全ての命題は真である。
[超数学的証明]
「超」をカッコつけて冠するのは、数学での証明でないという意識です(^^;)。
理論が矛盾すればその理論においては少なくとも一つの命題Aで、Aet(~A)が成り立つ。C2とC1からAと~Aが真。~Aが真なら(S2)より、
~Aと(~A)⇒((~A)ouB)が真.
定義1.を使うと、
~Aと(~A)⇒(A⇒B)が真.
C1より、
A⇒Bは真.
Aも真だったので再びC1で、
AとA⇒Bが真.
従ってBが真。
よって矛盾する理論においては、任意の命題Bが真。
[超証明終]
たびたび[超数学的証明]や[超証明]と書くのはさすがに恥ずかしいので(^^;)、以降は(証明)と略記します。自分は数学の証明は[証明]で区別します。
C3は、どんな理論であれ矛盾してはアカンよ、と言ってます。矛盾したら理論は、いっきょに論証能力を失います。逆の意味で注目すべき結果が次ですが、ほとんど注目されません(^^;)。
C4(命題が真である事の構文論的定式化)
Bが真なら、任意の仮定Aに対して、A⇒Bが成り立つ。
(証明)
1) (S2)より、B⇒(Bou(~A))は真。
2) (S3)より、(Bou(~A))⇒((~A)ouB)は真。
3) Bが真だから、1)とC1よりBou(~A)は真。
4) Bou(~A)が真なら、2)とC1より(~A)ouBは真。
5) (~A)ouBとは、定義1.よりA⇒Bの事。従ってA⇒Bは真。
(証明終)
ある理論において命題Bが真とわかってしまったら、どんな仮定を立てようとBが真である事実は変わらない、とC4は言ってます。正しい結論は、推論過程に無関係という事です
C3とC4は命題理論、別名論理的理論の存在論的意義を表していると思います。「存在論」などと安易に使うと、プロゲラさんに怒られそうですが(^^;)。
このように論理的証明は鬱陶しいです。鬱陶しいですが論理は、究極のバカチョン方式とも言えます。C1と(S1)~(S4)という一定の規則に従いさえすれば、仮定が真なら真と考えられる結果を必ず出せます。鬱陶しいが故に証明過程を検証できず、数々の詐欺の温床にもなる訳ですが(^^;)。
Cが「推論法則」の略記号という事には、象徴的な意味合いがあります。論理は命題の真偽には踏み込まないのです。例えば(S1)~(S4)の原始命題A,B,Cの真偽に関わらず「(S1)~(S4)で表される関係は正しいのだ」というのが、命題理論のシェマの立場です。要するに論理とは、「推論の正しさだけ」を保証するものです。その典型が、次の「演繹法則」です。
C5(補助仮定の方法、または演繹法則)
ある理論でAを仮定したときBが真なら、Aを仮定しない元の理論でA⇒Bが成り立つ。
これの(証明)は行いませんが、C5を頻繁に利用して理論は、成り立つべき関係式(命題)を無限に増殖させて行きます。C5を使って背理法を(証明)します(^^)。背理法は帰謬法とも言われるようです。
C6(帰謬法もしくは背理法)
ある理論で~Aを仮定したとき矛盾するなら、~Aを仮定しない元の理論でAが成り立つ。
(証明)
1) ~Aを仮定したときある理論が矛盾するなら、C3より、~Aを仮定した理論では任意の命題が真だからAが真。
2) 演繹法則C5より~Aを仮定しない理論では、(~A)⇒Aが成り立つ。
3) (S4)より、((~A)⇒A)⇒((Aou(~A))⇒(AouA))は真。
4) 2)とC1から、(Aou(~A))⇒(AouA)は真。
5) (証明)はしませんが、C1と(S1)~(S4)を地道に運用すると、Aou(~A)が真である事を示せる。
6) 5)と3)とC1から、(AouA)は真。
7) (AouA)が真なら、(S1)から(AouA)⇒Aなので、Aが真。
8) この結論は2)以降、~Aを仮定しない理論の中で得られたものだから、Aは元の理論で成り立つ。
(証明終)
いやぁ~、鬱陶しい!。でもC6の効用として、次の自明でなければならない関係を導けます。
C7(二重否定法則)
(~~A)⇒Aは真。
(証明)
~~Aを仮定し、Aを導けば良い。そこで~Aを仮定すると、これは矛盾。帰謬法C6よりAが成り立つ。従って補助仮定の方法C5より、(~~A)⇒Aは真。
(証明終)
C7は納得できました?。たぶん納得できないと思うんですが、C7が妥当な理由は、結局はC3とC4の論理的拘束結果にあると思えます。だから論理という究極のバカチョン方式としては、なに一つ悪い事はしてないのですが、もう自分で感覚的に納得するしかないとも思えます(^^;)。
じつはC1と(S1)~(S4)の地道な運用により、A⇒(~~A)が導けます。よってC7によって、二重否定則:A⇔(~~A)が完成されます。
対偶関係も同様です。地道な運用で、(A⇒B)⇒((~B)⇒(~A))が導けるので、次のC8で対偶則は完成です:(A⇒B)⇔((~B)⇒(~A))。
C8(対偶関係)
((~B)⇒(~A))⇒(A⇒B)は真。
(証明)
1) 演繹法則C5を念頭に(~B)⇒(~A)を仮定し、A⇒Bを導く。
2) 同様にC5を念頭にA⇒Bを導くために、Aを仮定し背理法を用いる。
3) ~Bを仮定すると、(~B)⇒(~A)から~Aが成り立つが、これは矛盾。
4) 従って帰謬法C6よりBが成り立つ。
5) 2)~5)に演繹法則C5を適用すると、A⇒Bが成り立つ。
6) 1),5)に再びC5を適用すると、((~B)⇒(~A))⇒(A⇒B)が成り立つ。
(証明終)
ここまでの話をまとめると、背理法,帰謬法は証明の方法(推論法則)であって、対偶関係はそこから導かれる命題関係です。ただし対偶関係も推論法則ですから、それを利用した証明の方法もあり得る訳です。それを仮に対偶法と呼ぶと、(~B)⇒(~A)からA⇒Bを導き矛盾を利用した証明法ではないので、背理法ではないという話にもなります。でもこの話、虚しくないですか?。じっさいC7もC8の(証明)にも、背理法C6が重要なポイントとして現れます。
背理法C6と二重否定則C7との関係を考えてみます。~Aを仮定したとき矛盾するとすれば、~Aでは変だって事です。なので正しいのは、~Aのさらなる否定~~Aであろうと。それは(~~A)⇔AであるAだったと。これを集合論的に解釈する事も可能です。
命題Aの妥当する外延集合をaで表します。aの定義から、aに対して~Aが妥当すると仮定したら矛盾です。aの補集合も~aで表す事にすれば、~Aが妥当するのはaの定義から~aでなければならないからで
す。従ってAが妥当するのは、~~a=a。
対偶関係も同様に扱えます。A,Bの妥当する外延集合をa,bとすれば、A⇒Bはa⊂bという意味になります。a⊂bを補集合で考えれば、~b⊂~a。~b⊂~aは(~B)⇒(~A)と同じです。
集合論的に解釈すれば、背理法と二重否定則が同じ状況を語っているのはほぼ明らかです。そこには補集合の関係がありました。対偶関係にも補集合の関係が本質的です。という事は、対偶関係C8を先に認めれば、背理法C6を逆に導けるだろうと予想できます。
C6'(帰謬関係もしくは背理関係)
対偶関係C8のもとでAを仮定した時、~Bを仮定してAと矛盾するなら、A⇒BがAを仮定しない理論で成り立つ。
(証明)
1) Aを仮定する。
2) さらに仮定~Bを追加する。
3) 仮定~Bを追加すればAと矛盾するから、定義2.より~Aが真。
4) 2),3)に演繹法則C5を適用し、~Bを仮定しない理論で(~B)⇒(~A)が真。
5) 対偶関係C8より、A⇒Bが真。
6) 1),5)に演繹法則C5を適用し、Aを仮定しない理論でA⇒(A⇒B)が真。
7) 再びAを仮定すれば、AとA⇒(A⇒B)が真だから、A⇒Bが真。
8) 仮定AのもとでA⇒Bが真なら、Bが真。
9) 7),8)に再度演繹法則C5を適用すれば、Aを仮定しない理論でA⇒Bが成り立つ。
(証明終)
上記が普通にやってる背理法ではないですか?。
[例題]
A⇒Bを示せ。
[解法-1]
Aが成り立つとき~Bを仮定すれば、(~B)⇒(~A)なので~Aも成り立つ。従って矛盾。
A⇒Bでなければならない。
[解法-2]
(~B)⇒(~A)が成り立つ。対偶をとれば、A⇒B。
[解法-1]と[解法-2]のどこが違うんですか?。