ちょっと、気になったので、「漫画村」について調べてみた [ひとこと言わねば]
本件のような大規模な海賊版サイトを支えるためには、コンテンツを配信するCDN(コンテンツ・デリバリー・ネットワーク)を維持するコストが必要になりますし、広告を適切に配信するためには技術的なバックグラウンドが必要になります。これが、上記「裏広告」のようなアドフラウド問題に直結することになります。
(中略)
「漫画村」など関連サイトの取引を割れた口座から追いかけていくと、積極的に広告仲介をしている企業が22社判明します。中でも、電子コミックを運営するNTTソルマーレ社や大手アダルト会社DMM.comなど大手企業の広告配信を担当していたBOOST社、グローバルネット社、アドスタイル社などは、著作権法上問題のある「漫画村」など関連サイトへの営業を実施していたという点で、ある種の幇助になってしまっていたのではないかとみられます(各社とも、筆者の取材に対して回答なし)。
(中略)
しかしながら、同様に広告技術を提供をしていたとみられるアキナジスタ社や、「漫画村」と組んでメディアレップとして営業をしていたグローバルネット社の子会社エムエムラボ社などはいずれも取材を拒否しています。配信技術の内容や取引情報からこれらの会社が関与していたことはほぼ確実とみられ、違法の疑いのあるサイトと知りつつ広告主に対して直接バナーを提供する直接取引を営業していた可能性が否定できません。
https://goo.gl/DVm4Kv
しかも、上場されている広告仲介企業までこの不正に深く関係している。
この病巣、闇は深いね〜。
今日のアニソン、「侍ジャイアンツ」から『侍ジャイアンツ』 [今日のアニソン]
第14回 濃度の和 [集合論入門]
第14回 濃度の和
濃度の定義
α、βを任意の濃度とする。このとき、α=|A|、β=|B|かつA∩B=∅である集合A、Bをとり、その直和A+Bの濃度|A+B|をαとβの和といい、記号α+βで表す。
一般に、α=|A|、β=|B|、A∩B=∅である集合A、Bは無数に存在する。したがって、上の定義が成立するためには、集合A、Bの選び方にかかわらず、|A+B|が変わらない必要がある。選び方によって変わらないことは次のように示すことができる。
α=|A|=|A’|、β=|B|=|B’|で、かつ、A∩B=∅、A’∩B’=∅とする。
|A|=|A’|、|B|=|B'|だから、AからA’、BからB'への全単射f、gが存在する。
とすると、hはA+BからA’+B’への全単射になる。
よって、
例1 任意の濃度αに対し、
である。
|A|=0、α=|B|とすると、A=∅で、A∩B=∅。また、A+B=B+A=B。
よって、
例2
Aを偶数全体の集合、Bを奇数全体の集合とすると、A∩B=∅で、A+Bは自然数全体の集合。
また、
したがって、
例3
また、
よって、
定理 α、β、γ、α’を濃度とすると、次のことが成り立つ。
【証明】
(1) |A|=α、|B|=β、A∩B=∅とすると、
したがって、
(2) |A|=α、|B|=β、|C|=γ、さらに、A∩B=∅、A∩C=∅、B∩C=∅とする。
すると、|A+B|=α+βで、また、
したがって、
同様に、
一方、
故に、
(3) |A’|=α’、|B|=β、A’∩B=∅とし、α≦α’とすれば、|A|=αかつA⊂A’であるAが存在し、A∩B=∅。
ゆえに、|A'+B|=α’+β、|A+B|=α+β。
一方、A+B⊂A’+Bだから
したがって、
(証明終)
(1)は濃度の加法の交換法則、(2)は濃度の加法の結合法則。
さらに、(2)から次のように、括弧を省いた書き方が許される。
例3 任意の無限濃度について
|A|=αとすれば、Aは無限集合。無限集合Aは可算集合Bを部分集合にもつ。このとき、
(A-B)∩B=∅だから
よって、
したがって、
問1 α、β、α’を濃度とするとき、次のことは成り立つか。
【解】
とすると、α<α'。
例3より
また、例2より
したがって、このとき
ゆえに、
は、一般に成立しない。
(解答終)
任意の濃度系に対して、次のような、Iを添字の集合とする集合系を考える。
集合系の和集合の濃度を、濃度系の和といい、
で表す。
例4
【解】
自然数全体の集合をNとすし、任意のn∈Nに対し
とする。
すると、n≠m∈Nのとき
であり、
したがって、
ここで、
よって、
である。
ブラゲロがこんな質問をしていた [ひとこと言わねば]
☆ 質問は:
1. 《取材のために1対1の飲食の機会があった》りするもんなの?
2. 《取材の度にセクハラ発言があった》とすれば 最初のときは ともかくとしても(つまり完全に善意だと
見なし得るとして) 二度目からは 《飲食》の場は 避けるのが ふつうではないの? 仕事魂?
3. 三度目からは これぢゃ仕事になんないと分かったんではないの?
取材のためとはいえ、男女1対1の会食の場に出る、あるいは、ついて行くという、この女性記者のあまりに軽率な行為がネムネコには理解できないケロ。
これでは、プライベイトなのか仕事なのか、その区別が曖昧になってしまい、「ひょっとしてこの女性記者は俺に気があるんじゃないか」という誤ったメッセージを相手に与えることになりかねないにゃ。危ないケロ。まして、それが度重なれば、この勘違いは確信に変わるおそれすらある。(この相手の勘違いを利用して、なにか特ダネを聞き出そうなど論外だろう。)であるからして、そもそも、1回目の時点で、この女性記者は固く断るべきだったと思うね。
厳しすぎるかもしれないけれど、
そもそも、1対1の飲食の場に出るという行為自体が取材方法として不適切だった。
そして、さらに厳しく言えば、
このような不適切な取材方法を取らないと必要な情報を得られなかったのだとすれば、それは、取りも直さず、この女性記者に取材記者としてのスキル、能力が欠如していることを意味しているのではないか。また、そのことを自覚し、それを補うためにセクハラ行為を甘んじて受けていたのだとすれば、これは誤った努力であり、努力の方向が間違っていた、と断じざるを得ない。
と同時に、このような不適切な取材方法(?)をとり続けてきた、こうした取材方法を是認してきた、TV局などのマスコミの姿勢――たとえば、少々のセクハラなどの被害を受けても、それを我慢し、他社を出しぬくような特ダネを取って来いといった、無言の特ダネ至上主義。それができなければ無能と判断する誤った評価システム。セクハラ被害を受けた場合、それを直ちに報告できないといった職場環境や社員教育の不足などなど――が問われるべきなんじゃないか。
ネムネコはこのように考えるにゃ。
フリーのジャーナリストが、自己の責任において、麻薬などの犯罪組織に属する危ないヒトたちを取材するのとはワケが違うんだから。
「ネムネコは誘われることはあっても、誘ったりはしないケロ!!」