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今日のクラシック、ファリャ作曲、バレー音楽『三角帽子』第1組曲&第2組曲 [今日のクラシック]

今日のクラシックは、スペインの作曲家、ファリャ作曲のバレー音楽『三角帽子』第1組曲&第2組曲です。


肩肘を張ることなく、気楽に聞くことができる名曲です。聞けばすぐにわかる通り、スペインの民族音楽的な色彩の強い曲。
全曲通して、非常にメロディアスで、色彩感とリズム感に富んでおり、さらに劇的な変化があって、聞く者を片時も飽きさせることがない。だ・か・ら、「この曲を名曲と呼ばずして何を名曲と呼ぶのか」と思うのですが、いわゆる、クラシックの通の間では、色物扱いされるかわいそうな曲でもあります。コアなクラシックファンの間で、迂闊にも、「この曲は名曲。私はこの曲が大好きだ」と口を滑らしてしまうと、間違いなく白い目でみられてしまいます。モーツアルトやベートヴェンといった高尚な曲を理解できない俗物の烙印を押されてしまうのです(^^ゞ。
――クラシック名曲100選には絶対に選ばれない曲で、交響曲や協奏曲を除く管弦楽曲100選ならばセレクトされる程度の扱い。ドイツ・グラモフォンBEST100にはファリャのこの曲はセレクトされておらず、デッカのベスト100には収録されています。――

この『三角帽子』の他に、ファリャには、この『三角帽子』の他に、バレー音楽『恋は魔術師』という代表曲が存在します。


『恋は魔術師』あたりになると、録音が少なく、しかも、コンサートで演奏される機会もほとんどないので、クラシックファンの中でも、意外に全曲聞いた人は少ないのかもしれないですね〜。
なのですが、第8曲目の「火祭の踊り」はおそらく聞き覚えのある曲のはずで、これを聞くと、きっと「あ〜っ、この曲か」と思うはずです。


ファリャは、フランスの印象主義音楽の影響を受けた、印象主義的な作曲家ということになっておりますが、この分類が正しいのかどうか、大いに疑問に思っています。

印象主義音楽の代表曲:ドビュッシー作曲『牧神の午後への前奏曲』


ファリャよりも、ストラヴィンスキーの初期作品の方がよほど印象主義音楽的だと思うのですが、何故か、ストラヴィンスキーは印象主義的な作曲家に分類されません。


ストラヴィンスキーくらいのビックネームになると、他の作曲家とは異なる、特別扱いを受けるのでしょうか。

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今日のアニソン、「レベルE」から『コールドフィンガーガール』 [今日のアニソン]

今日のアニソンは、「レベルE」から『コールドフィンガーガール』です。


アニメでは、栗山千明がVocalをつとめたようですが・・・。

さらに、このような曲も・・・。




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対偶(法)と背理法は同じか? [ひとこと言わねば]

背理法と対偶ですか・・・。

 

命題「pならばq

  

と、その対偶「qでないならばpでない」

  

は同値(真偽が一致する)。

だから、

対偶である「qでないならばpでない」を証明すれば、「pならばq」が(自動的に)証明されたことになる。

 

p⇒qの真偽表

p

q

p⇒q

 

 

対偶¬q⇒¬pの真偽表

p

q

¬q

¬p

¬q⇒¬p

 

 

対して、背理法は

 

のとき

 

 

となるので、(2)のp∧¬qが偽であることをを示せれば、その否定である(1)p⇒qは真になるといったような証明法。

より正確には、p∧¬qを仮定し、この仮定から矛盾は発生させて、(1)が真であることを示す証明法。

 

ですから、f272さんの回答3でいいのだと思います。

 https://okwave.jp/qa/q9507905.html

 

ただし、(1)のタイプのような命題はです。

「√2は無理数である」の証明の場合、つまり、「pである」という命題の証明はすこし事情が異なって来るように思います。

f272さんも回答7で、「この問題の場合、背理法と対偶的証明は実質同じ証明になる」って言っていることだし。

それでいいんじゃないかですか。

だいたい、真正面から証明できず、さりとて対偶的な証明にもうまく還元できないから、背理法を使って誤魔化すんですよ(^^ゞ

 

質問者を置き去りにして、この問題にこれ以上深入りするのはやめたほうが賢明だと思いますよ。

質問者をいたずらに混乱させるだけですって。

それに、この問題は危険すぎます。死を招きますって。

 

ところで、

互いに素な整数n,mで√2=n/mと表せないならば,√2は無理数である。
の対偶をとって
√2が有理数であるならば,互いに素な整数n,mで√2=n/mと表せる

 

対偶をとれば確かにこうなりますけれど、下線部は・・・。

この質問の回答4のように、ふつう、「互いに素な整数n、mで√2=n/mと表わせない」になるんじゃないかな。

前提「√2は有理数である」が間違っているから、下線部の部分の真偽に関わらず、対偶のこの命題は無条件で真になるけれど・・・。また、誤った前提からはどのような結論も導き出せるので、うまく構成すれば、その誤った仮定のもとで下線部を証明することもできるのでしょう。すると、今度は、下線部の真偽が定まらなくなり、下線部は命題でないことになってしまう。

これでは、限りなく、「嘘つきパラドクス」に近いものになってしまうような・・・。

 

それはそれとして、

 

 背理法被害者の会

 

 http://abel.a.la9.jp/sub1.html

に、「√2が無理数である」ことの証明の詳しい解説が出ているので、ここなどが参考になるのではないでしょうか。

さらに、

 http://abel.a.la9.jp/sub3.html

 http://abel.a.la9.jp/sub4.html

などは、過激ですが、読み物として面白いと思います。

 


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