ブラゲロ・マムシの質問への回答 [ひとこと言わねば]
ネムネコの次の質問
お前らの前に、天国につながる道と地獄にゆく2つの道とに道が分かれている。
その分岐点に天使の姿をしたネムネコとブラゲロ・マムシがいる。
質問されると、ネムネコは必ず嘘をつき、ブラゲロ・マムシは必ず正しく答えてくれる。ただし、見た目から、ドッチがネムネコでブラゲロ・マムシかは判断できないケロよ。
お前らは、ネムネコ天使かブラゲロ・マムシ天使のどちらか一方にだけ、「はい」か「いいえ」で答えてもらえる質問するチャンスが与えられている。
さあ、お前らは、天国に行くためになんと質問するか?
に対するddt³さんの解答に対して、ブラゲロ・マムシから次のような質問をもらった。
★ 偶然に天国行きの道を指さし
☆ って言ったって 《偶然に地獄行きの道を指さしている》かも分かんないぢゃん?
どちらか一方の道を指して、必ず嘘を嘘を吐くネムネコ天使でも必ず正しく答えるブラゲロ・マムシ天使のどちらか一方に
『「この道は天国へ通じる道ですか」と質問したら、「はい」と答えますか」
と質問した場合、この答えは次のようになります。
|
ブラゲロ・マムシ |
ネムネコ |
質問の答え |
天国 |
はい |
いいえ |
はい |
地獄 |
いいえ |
はい |
いいえ |
問題になるのは、質問をした相手が必ず嘘をつくネムネコ天使の場合ですよね。
ネムネコ天使はかならず嘘をつくので、
指さした道が天国に通じている場合、
「この道は天国に通じる道ですか」の返答は「いいえ」
地獄行きの道ならば
「この道は天国に通じる道ですか」の返答は「はい」
になります。
これが上の表の黄色の部分です。
ですから、
『「この道は天国へ通じる道ですか」と質問したら、「はい」と答えますか」という質問に対し、
天国行きの道の場合、「いいえ」と答えるとネムネコ天使は正直に答えたことになるので、嘘をつくために「はい」と答えないといけない。
地獄行きの道の場合、「はい」と答えるとネムネコ天使は正直に答えたことになるので、嘘をつくために「いいえ」と答えざるを得ない。
これが上の表の赤い部分です。
そして、この答えは正直なブラゲロ・マムシ天使の答えと一致する。
だから、質問する相手が嘘つき者のネムネコであろうが正直者のブラゲロ・マムシであろうが正しい道を教えてくれることになる。
ddt³さんのように、片方の道を指さして、ブラゲロ・マムシ天使とネムネコ天使のどちらに
『「この道は天国行きの道だ」と嘘をつきますか』
と質問しても、「YES」、「NO」の答えは逆になりますが、同じようにその道が天国に通じているかどうか知ることができる。
ddt³さんが「嘘つきクレタ人」というパラドクスを紹介してくれていますが、嘘つきなネムネコに質問すると、「嘘つきクレタ人」のようなパラドクスに感じられる事態が発生する。
ただ、この問題の場合、「嘘つきクレタ人」
ソクラテス:「プラトンは嘘を言っている」
プラトン:「ソクラテスの言うことは正しい」
が真偽が定まらないのとは違って、「ケネディーと天使」は真偽が定まるところが異なっている。
「嘘つきクレタ人」のパラドクス(?)を表す方程式はこれだとか(^^)
これを解くと、
xとyは{0,1}の値をとらなければならないのに、1/2という0(偽)と1(真)の中間の値をとっている。
これでは「真」か「偽」かわからないにゃ(^^)。
真偽が定まらないので、「嘘つきクレタ人」は命題ではないということになる。
だって、嘘つきクレタ人は、最終的に
「AはAでない」
つまり、
という形になるからね。
これを方程式に書くと、
になり、x=1/2と上で求めた値と同じになるにゃ。
ここで大きく逸脱するけれど、
AならばAでなく、AでないならばAである。ゆえに、Aである
つまり、
という定式化が(大乗)仏教の「空の論理」と呼ばれるものだにゃ。
やっぱりおかしい。屁理屈で応答します。
◇ ~~~~~~~~~~~~~~
『「この道は天国へ通じる道ですか」と質問したら、「はい」と答えますか」という質問に対し、
天国行きの道の場合、「いいえ」と答えるとネムネコ天使は正直に答えたことになるので、嘘をつくために「はい」と答えないといけない。
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☆ 《「いいえ」と答えると》というのは 《「はい」と答えますか》の問いに対して 《反対で答える》という意味です。まだ《ウソをついている》わけではない。《はい》と答えても ウソとはまだ関係ない。
というので ウソをつくのは 前半の《この道は天国へ通じる道ですか》という問いに対してだと見なしてよいと回答者は判断している。
天使のほうは 同じくそのように判断しているのかどうか? 回答者の思いに沿って答えるとしましょう。
もしネムネコ天使であるなら ウソをつかねばならないというとき 問いが《この道は天国へ通じる道ですか》のほうに移ったとしたなら 天国への道が指されているのであれば やはり《いいえ》とウソで答えるのでは?
by bragelone (2019-02-06 05:10)
おはようございます。
正直者ならば「いいえ」と答えるところ、「はい」と答えるから嘘をついていることになるのではないですか。
結果的に「天国に通じる道」を教えることになったとしても、この質問に対しては嘘をついていますよ。
by nemurineko (2019-02-06 07:27)
うっ? おはようございます。
■ 「この道は天国へ通じる道ですか」と質問したら、「はい」と答えますか」
□ (マムシ天使) ~~~~~~~~~~~~~
《「はい」と答えますか」》の問いに対して とりあえず《はい》と答えます。
でも もしあなたの質問が そうではなく――あなたの心の中ですでに実際には質問が次のように移り変わっている場合には 同じ答えにはなりますが―― 「この道は天国へ通じる道ですか」という問いに対して 《はい》と答えます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・となります。
ただし そのような内面の事情については触れない約束です。
それをおもんぱかって ひと言で答えるなら 《はい》です。
結果として ネムネコ天使は《いいえ》 マムシ天使は《はい》という答えをそれぞれします。けれども どちらがどちらであるかは 道を尋ねる人には分かりません。
すなわち:
◇ 正直者ならば「いいえ」と答えるところ
☆ という表現には 段階としてふたつの要素がふくまれます。問いが 二種類あるという意味での段階です。
1. 《「はい」と答えますか》という問いなる段階:
――〔《はい》と答えてもそれは この場合げんみつには 《正しく答える》ことにはならない。《どうぞ 質問してみてください》と応答するのが 正直者の態度です。
《いいえ》という応答は 対応する要素がなくなります。
どういう問いなのですか? と問い返さなければならない。けれども それは かなわない〕。
2. 《この道は天国へ通じる道ですか》という問いには:
――そのまま《はい》と答える。
by bragelone (2019-02-06 09:28)
◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1. 『( a ) 「この道は天国へ通じる道ですか」と質問したら、
( b )「はい」と答えますか」』という質問に対し、
2. 天国行きの道の場合、
( c ) 「いいえ」と答えるとネムネコ天使は正直に答えたことになるので、
( d ) 嘘をつくために「はい」と答えないといけない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 3. くだんの問い(1)は ふたつの質問から成ります。( a )と( b )とです。
4. (2)の説明は――つまり( c )と( d )は―― ( b )なる問いがそのまま( a )なる問いをあたかも包み込み
けっきょく( a )と同じ質問なのだというかたちで扱っています。
5. 微妙ですね。出来ないわけではない。ここでは その扱い方に沿って考えます。
6. (2)です。そして ( c )( d )の説明の前に 《はい》と答える場合を考えます。
7. つまり 2.( e ): 直接には( b )なる問いの指し示す( a )なる間接的な問いにネコ天使が《はい》と答える。
とどうなるか?
問い:「この道は天国へ通じる道ですか」( a )――答え:はい。
つまり 天国行きの道をそのままおしえたことになる。
8. けれども このときネコ天使は ウソをつくという約束(前提)を破ったことになるのか?
9. 質問者が知りたいことをそのままおしえてやったことになるけれど ウソをついたか・つかなかったかは まだ定まっていない。
なぜなら 質問者としては 相手がウソをつくネコ天使であるかどうかは分からないから。
10. マムシ天使も この( e )の問いに同じく《はい》と答えるから 知らなくても 大丈夫だという論理になるか? つまりは どちらも答えが《はい》なのだから もうシメタものだとなるのかも知れませんが 質問者にしてみれば 《ネコ天使なら ウソをつく》という大前提でことに当たっているわけです。
11. つまり ( e )の問いの場合に ネコ天使がウソで答えるという約束は まだ守られていない。守られているかどうかが 質問者にしてみれば 分からないことになる。――と質問者は すでに推理している。はずなんです。
12. そして 結果としては――どちらの天使も ( e )については《はい》と答えるのだから―― 天国行きの道であるということは はっきりと突き止め得たことになる。
13. だったら ネコ天使は 結果として《ウソをつかなかった》。つまり 約束を破ったことになる。のではないだろうか?
by bragelone (2019-02-07 05:35)
こんにちは。
☆13. だったら ネコ天使は 結果として《ウソをつかなかった》。つまり 約束を破ったことになる。のではないだろうか?
◇ここまで含めると、
ddt³さんんが指摘するように、
「嘘つきクレタ人のパラドクス(?)」と同じ構図になる。
(ねむ猫天使が)「嘘をつく」とはどういう意味、行為なのかなんて厄介な話に発展する。
ここで、面白い話を紹介します。
ナイル川に住んでいるワニが人間の子どもを捕まえ、その子どもの母親にこのように質問します。
「私がこの子どもを返すか返さないか言い当てたならば、子どもをお前にかえしてやろう。」
お母さんはしばらく考えてワニに「返さない」と答えます。
ここでワニは困ってしまいます。
だって、
ワニが子どもを返さない〈つもり〉であったならば、その母親はそれを言い当てたことになり、その子どもを返さないといけない。しかし、子どもを返すと、結果的に、その母親の返答は間違っていたことになるからです。
逆に返す〈つもり〉であったならば、母親の返答は間違っていたことになり、ワニは子どもを返してはならない。そうだとすると、お母さんは結果的に「ワニは子どもを返さない」と言い当てたことになってしまう。
ここではここで打ち切りますが、これは「返す」と「返さない」の間を永遠に行き来する無限ループになってしまう。
お利口なこのワニは困ってしまいます。
そこで、ワニはこの厄介事からのがれるために、「子どもを母親に返す」という現実的な選択をしたとさ。
あるいは、
お利口なワニが思案にくれている隙を突き、その母親はワニから子どもを取り返したとさ。
めでたしめでたし。
「返す」、「返さない」というのが、
ワニの〈つもり〉、意志を言っているのか、
結果的に「返す」、「返さない」という行為をさしているのか、
このどちらを意味しているのかが曖昧なんですよ。
オリジナルの話は、ワニは仕方なく子どもをその母親に返したとありますが、
おそらく、この賢明なワニは、「思案にくれるふりをして、母親にその子どもを奪還せせた」に違いありません(^^ゞ
あるいは、
「ままよ!」とばかりに、ワニはその母親を食べてしまった。
これで、「返す」、「返さない」の相手である母親がいなくなったので、ワニはこの絶体絶命のピンチからのがれることができた。
めでたし、めでたし(^^ゞ。
「ナイル川のワニ」というパラドクス(?)には、時間、つまり、未来の要素が加わるので、「予言のパラドクス」的な要素が加わっているのかもしれない。
「ニューカムのパラドクス」
https://youtu.be/e2rZ_V2OpN4
「【不思議】頭がおかしくなる。有名な4つのパラドックス。」
https://youtu.be/gyjiuKqQmJk
「ナイル川のワニのパラドクス」は、有名な4つのパラドックスの2番めに出ています。
by nemurineko (2019-02-07 14:55)
こんばんは。
ちょっといい推理ではなかったみたいです。
特に(4)がおかしいかも。
考えます。すみません。
(13)の・ネコ天使が《必ずウソをつく》ということではない一面が起きたのは そうかも知れません。
by bragelone (2019-02-07 19:31)