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ブラゲロのブログ記事の紹介 [ひとこと言わねば]

ネムネコ・ファミリーの一員である、名古屋に生息するブラゲロ・マムシが自身のブログで次のような記事をアップしていたので、紹介するにゃ。

 ひと――エワとアダムー―が 善と悪を知る木から採って食べたことは 自由意志のもんだいである。
 https://goo.gl/WP8ypd

私は、「アダムとエヴァのこのお話は、何故、人は死ぬのか、死ななければならないのか、という人々の疑問に対する(神話的)回答にすぎない」と考えている。
そして、アダムとエヴァのこの話は、「神から二者択一の選択を迫られ、その一方を選択した結果、人は不死でなくなる」というバナナ型神話の類型の一つに過ぎず、自由意志が云々という解釈は後世のキリスト教の神学者が(キリスト教の)神の、全知全能性、絶対性を守るためにでっち上げたドグマだと思っている。

 バナナ型神話
 https://goo.gl/lSylfD

だって、
アダムとエヴァのせいにしないと、
「(キリスト教の)神さまが全知全能の絶対者ならば、何故、判断を過つような不完全な人という生き物を作ってしまったのか、という解決困難な神学上の問題が発生してしまう。神さまが全知全能でこのことを事前に予知できていたならば、アダムとエヴァの堕落は神様のせいだということになってしまう。このことを予知できなかったのならば、神さまは全知全能の絶対者でなくなってしまう」からだにゃ。
このお話は、神さまを全知全能の絶対者とするキリスト教神学の根幹に関わる非常に危険なお話――実際に、このお話はキリスト教の神の全知全能性に対する疑問、反論として、よく、引用される。いわゆる無神論者にとってはキリスト教攻撃の格好のネタ!!――で、キリスト教の神学者たちは神さまの全知全能性を擁護するために、自由意志というものを引っ張り出したに違いない。そして、キリスト教の神学者たちは、「神さまはヒトに神に逆らう自由すら与えた」と、さらに、「自由、これこそ神の恩寵だ」と声高に主張しだすかもしれない。

そう言えば、西側先進諸国の一部のヒトたちは自由、自由と声高に叫び続けているな。神さまでさえ制限することができない自由を有しているのだから、まして、ヒトやヒトが作った社会、制度などがこの絶対無条件の自由を制限することが許されるはずがない。そんな神をも畏れぬ所業がこの世界にあっていいはずがない(^^)

創世記を読むと、「何で、オレはヒトなんてトンデモナイものを作ってしまったんだろう」と、神さまはアダムとエヴァを作ったことを深く後悔し、「洪水でヒトを皆殺しにしてやる」とノアの洪水を引き起こしている。
このことからも、創世記の神さまが未来予知を苦手にしていることは明らかだと思うんだがな〜。


ネムネコが提出する「神さまは未来予知が苦手(だから、神は全知全能でない)」という疑問に対し、ブラゲロ・マムシはきっと次のように答えると思うにゃ。
神は、未来予知の能力を有しているが、自らの意志で、あえてそれをしないのだ。だから、神の全知全能性は揺るがない。


なお、キリスト教とは異なり、ユダヤ教は、人類の始祖であるアダムとエヴァが「善悪を知る」禁断の木の実を食べたために、アダムとエヴァ以降のヒトは生得的な罪、つまり、原罪をもつとは言わない。神の言いつけに背き、善悪を知る果実を食べた罰は不死性を失うこととして受けたと考えるにゃ。
もし、罪があるとすれば、それは神との契約を破り神に背いたイスラエルの民にのみあるのであって、イスラエルの民以外の民にはないとする考え方もある。ユダヤ教の超正統派の聖職者(?)の中には、こういったことを言うヒトもいるんだケロ。


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bragelone

こんばんは。年が明けましたね。

◇ 全知全能
☆ にこだわり過ぎですよ。

まったく単純な話になるはずなんです 自由意志の問題として捉えるなら。

M.ウェーバーの専門家でもあるでーでーてー氏の見解をうけたまわったあとで コメントさせてもらいます。

だって 自由意志の自由度には――光も曲がるというのと同じように――ふとへそを曲げることがある。というだけですから。(クリナメン)。

自由度というあそびがあって ふと道草を喰おうかと思う。道草を喰っていると ふと何かよからぬことを考える。胸が高ぶる。顔が赤らむ。・・・

このヤマシサ反応が出たら――それは 人間の意志のチカラを超えた良心のハタラキだと見ますが―― それはマイナスの自由度だとなります。その反応を押し切ったなら ヘソが曲がるというものです。

つまり ウソ・イツハリの始まりとして。《原罪》と言おうが言うまいがです。

《善と悪を知る木から採って食べた》というのは この自由意志の起こりを 物語ふうに 描いて見せたものだという捉え方です。

蛇も悪魔も関係ない。物語として分かりやすいように登場させているのみと。

あっ ほとんどぜんぶ 言っちゃった。
by bragelone (2019-01-11 18:47) 

bragelone

ぜんぶ 納得?
by bragelone (2019-01-11 21:07) 

nemurineko

キリスト教の神の全知全能性や絶対性といったスコラ的な話はモノのついでにしただけですよ。
しかし、理系人らしく、ラプラスの魔(古典力学的な決定論)や量子力学(未来は確率的にしか予測できない)的な観点から、未来は完全に予知できるかという問題については興味があるのは事実。

brageloneさんとの付き合いは長く、色々と議論を積み重ねてきましたから、
brageloneさんのお考え、立場はよく知っておりますよ。

ただ、神がアダムとエヴァに神に背く自由すら与えたという説が生まれたことと、キリスト教神学の根幹である神の全知全能性、(神は悪を創造しなかったという、神の完全な)善性、絶対性と無縁ではないということを、このブログの訪問者に知って欲しくて取り上げただけです。

by nemurineko (2019-01-11 21:47) 

bragelone

◇ 神がアダムとエヴァに神に背く自由すら与えたという説
☆☆ ~~~~~~~~~~~~~
自由度というあそびがあって ふと道草を喰おうかと思う。道草を喰っていると ふと何かよからぬことを考える。胸が高ぶる。顔が赤らむ。・・・

このヤマシサ反応が出たら――その反応は 人間の意志のチカラを超えた良心のハタラキだと見ますが―― そのヤマシサはマイナスの自由度だとなります。その反応を押し切ったなら ヘソが曲がるというものです。
~~~~~~~~~~
☆ ここは あたらしい知見で~す。善から悪が生じた!

でーでーてーさんは 食指がうごかなかった?
by bragelone (2019-01-11 22:08) 

nemurineko

質問!!

3:22 主なる神は言われた、
 「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。
 彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。

という箇所に、「われわれのひとり」という謎の言葉がありますね。

brageloneさんは、この言葉をどのように解釈なさいますか。

ソドムを焼き払った「神と御使い(この御使いは天使ではない)」みたいな関係。
旧約聖書の神とは、新約聖書に登場する悪霊の集合体レギオンのように、神霊の集合体(・・?

また、「われわれ」ではなく、「われわれのひとり」とあるので、
その「ひとり」以外は善悪は知らないということ(・・?

by nemurineko (2019-01-11 22:32) 

bragelone

じつは 分からないのです。

つまり:
▲ いのちの木 / ~~から採って食べる
☆ が何を表わしているのか。これが 分かりません。

▲  われわれ / ~~のひとり / ~~のようになる
☆ については 要するに《神のようになる》ということだと思います。

神は 複数であるとしたら 《われわれ》とも自称するでしょうし また複数であっても 《われ》とも自称すると思います。(事例は 分かりませんが)。

《われわれのひとり》と言えば どのひとりでもよいでしょうし その《ひとり》で《われわれ〔なる一体〕》を表わしている。――のだと思います。

▲ 命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。
☆ これも 分かりません。遺伝子にかかわるなどの医学の発達によって 寿命が長くなることを言っているんですかね。
――何とも ピンと来ないんです。
by bragelone (2019-01-11 23:02) 

nemurineko

NIV版聖書には、この箇所は、次のように書いてあります。

22 And the Lord God said, “The man has now become like one of us, knowing good and evil. He must not be allowed to reach out his hand and take also from the tree of life and eat, and live forever.”
https://goo.gl/Ljf6cd

これならば、
命の木の果実を食べられないようにするために、アダムとエヴァを追放した
となり、話の辻褄が合うようです。

であるとすれば、この箇所の日本語訳がおかしいのか。

KJVにも、次のようにありますし・・・。

And the LORD God said, Behold, the man is become as one of us, to know good and evil: and now, lest he put forth his hand, and take also of the tree of life, and eat, and live for ever:
https://goo.gl/VpaxWp

善悪を知る果実を食べたあとに、さらに、生命の果実を食べておけば、善悪を知るだけでなく、不死性を得られたのかもしれませんね。
だとしたら、
蛇の「(禁断の果実を食べても)死んだりしませんよ」という言葉が嘘でなかったことになる。
神がそれを許したかどうかは別にして、
エヴァの選択の過ちは、「善悪を知る果実」だけを食べ、その後すぐに「生命の果実」を食べなかったところにあるということになる。

by nemurineko (2019-01-11 23:41) 

bragelone

◇ エヴァの選択の過ちは、「善悪を知る果実」だけを食べ、その後すぐに「生命の果実」を食べなかったところにあるということになる。
☆ そんな無体な!

▲ (KJV 3:22 )・・・and now, lest he put forth his hand, and take also of the tree of life, and eat, and live for ever:
☆ あぁ ここ しっかりと読んでいませんでした。《 lest 》に当たる語(ペン)が そのあとのぜんぶにかかる。ということですね。
◇ であるとすれば、この箇所の日本語訳がおかしいのか。
☆ ということになるんでしょうか。


◇ ~~~~~~~
さらに、生命の果実を食べておけば、善悪を知るだけでなく、不死性を得られたのかもしれませんね。
だとしたら、蛇の「(禁断の果実を食べても)死んだりしませんよ」という言葉が嘘でなかったことになる。
~~~~~~~~~
☆ これはですね。《生命の木》のことをちらつかせたというのは 聖書記者のするどい観想であるかに思われて来ます。

要するに ヘーゲルの説明するように《無限と有限との一体性 この矛盾》ということにかかわっている。のではないか。

つまり ほかでもなく 梵我一如あるいは一切衆生悉有仏性のことですね。

ちがいますか?
by bragelone (2019-01-12 00:11) 

ddtddtddt

 三連休のスキー山籠もりより帰還しました。ddt^3です(^^)。

 ところでなんか、プロゲラさんから呼び出しを食らってるような・・・(^^;)。

 実際のところ自分は職業柄、現場で実際に杭とか重機ハンマーで打ってる体育会系ですからね。ある意味ネコ先生より文系でない。お二人のお話についていけるかなぁ~。

 とりあえず読んでみます(^^)。

by ddtddtddt (2019-01-15 14:01) 

ddtddtddt

 ddt^3っす。

 読みました。読ませていただきました。・・・が、なんともコメントしようがないです(^^;)。

 ウェーバーは人間の自由意思について、何も言ってないように思えるからです。以前とりあげた「職業としての学問」と「職業としての政治」で代表させますと・・・。

 「職業としての学問」、いわゆる学問価値自由論は、神の話(宗教)や大抵は神に関連づけられる話(倫理)には、科学的根拠など一つもないと言い切っただけです。それらは言ってしまえば思い込みの偏見であると。極論すれば、「殺人・窃盗・嘘は駄目」というのも一つの偏見に過ぎない事になります。

※ もっとも科学的方法も一つの偏見ではないのか?、という話には及びません。ファイヤ・アーベントやクーンらによって科学哲学が整備されて行ったのは、ウェーバーから半世紀以上後です。

 一方「職業としての政治」では、政治的決断とは一定の道理はあるものの、究極的にはある偏見を意志をもって(良かれと思ってであれ悪意を持ってであれ)選ぶ行為だという事になります。


 しかたないので感想を述べると、「人間は神様に背く自由すら生得的に持っている」という「偏見」は支持したいです。
by ddtddtddt (2019-01-28 11:53) 

bragelone

こんちわっす。――ねこさん お休み 長いですね。

★ しかたないので感想を述べると、「人間は神様に背く自由すら生得的に持っている」という「偏見」は支持したいです。
☆ つまり 最終的には――人間であるならば―― 一定の価値判断をおこなう・・・ものなのだとやはり思います。

主観と主観とのけんか〔になります〕ですね。



政治的行為については 実践的・現実的な判断にならざるを得ない。レアル・ポリティークですね。

つまり ヱーバー風に言えば 為政者は――自分の信念や思想にもとづき行動するとき――悪魔とも手を結ぶ。



問題は 学問です。自然科学と哲学との総合です。
そして いまは 中でも神論です。



おそらく でーでーてーさんの結論として次のように言ってよいのではないですか?

○ 善と悪とを知る木から採って食べたという物語は 人間の自由意志の問題だとすれば その視座においてはすでに 善悪論から自由になっていることができる。と。

すべて主観〔の選択・判断〕の問題に帰着する。と。

《生命の木》は 保留しておきましょう。



☆ 今朝の日経新聞に ゲノム編集の記事がありました。中国の何とか教授につづいて 日本でもどうもやりそうな気配があると。(検索では出ませんでしたが)。
by bragelone (2019-01-28 13:16) 

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