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創世記6章に出てくる「ネフィリム」ってなんだにゃ? [ひとこと言わねば]

創世記第6章の1〜4節にかけて、ちょっと妙なことが書かれているだケロよ。

第6章
 6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、 6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。 6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。 6:4 そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
http://bible.salterrae.net/kougo/html/genesis.html

口語訳聖書だとわかりづらいのかもしれないので、比較参照のために、英語のKJVの訳も。

6
 And it came to pass, when men began to multiply on the face of the earth, and daughters were born unto them,

2 That the sons of God saw the daughters of men that they were fair; and they took them wives of all which they chose.

3 And the Lord said, My spirit shall not always strive with man, for that he also is flesh: yet his days shall be an hundred and twenty years.

4 There were giants in the earth in those days; and also after that, when the sons of God came in unto the daughters of men, and they bare children to them, the same became mighty men which were of old, men of renown.

https://goo.gl/Aw5Xh2

これを見るとわかるように、最も権威があるとされるキング・ジェームス版、つまり、欽定聖書では、ネフィリム(Nephilim・ネピリム)という語にに巨人(giant)という訳語を当てているんだにゃ。

なお、この箇所は、アダムとイブの楽園追放、アダム・イブのノアに至るまでの系統、そして、有名なノアの洪水の件(くだり)の直前にあるんだケロ。
ってことは、ノアの洪水が起きる前、この世界にはアニメ「進撃の巨人」に出てくるようにヒトを食ってしまう巨人が多数存在していたってことになるのか(・・?


こんな物騒な巨人が多数存在していたから、神は、ノアの洪水を起こし、ノアの一族を除き、巨人を一掃した(・・?

さらに、ここには、神の(息)子たち、the sons of Godという謎の言葉が出ているにゃ。
ってことは、
ユダヤ・キリスト教の神さま(God)には、キリスト教で神のひとり子(Son of God)とされるイエス以外に息子が何人もいるケロか?
これが真実だとすれば、いわゆるキリスト教は根本から破綻してしまう(>_<)。
それとも、神のひとり子・イエスは、ナザレのイエスとしてこの世界に現れるはるか前の、ノアの洪水以前に地上に降下し、ヒトの美しい娘と交わり、ネフィリムと呼ばれる子どもたちを設けたということになるのか。それで、「このバカ息子、何てことをしやがる」と父なる神が激怒し、息子のこの不行跡を正すためにーー事実隠蔽か?ーー、地に増えたイエスの息子たちを洪水で一掃した(^^ゞ。
こんなことがベリアルに知られると、如何に父なる神とはいえ、バカ息子・イエスを庇いきれないので、何かとうるさいベリアルに知られる前に、洪水を引き起こすことで、バカ息子・イエスの不行跡の証拠をすべて隠滅してしまった。

 ベリアル
 https://goo.gl/W3iSrU

なんたって、地上にお使いに出せば、いとも簡単に地上の人間の陥穽に落ちて、あろうことか磔にされるという大失態を演じるほど、父なる神に似ていない不出来なバカ息子だからね〜、イエスは・・・。少なくともイエス以外の他の御使いならば磔にされるという失態は演じないケロよ。他の御使いならば、きっと、ソドムとゴモラを焼き滅ぼしたように、火と硫黄でエルサレムを焼き尽くしたと思うにゃ。
旧約に出てくる神さまは律法の神であり怒り・復讐、妬み(最近、妬みではなく情熱と訳されるが)の神だから、愛の神・イエスとは違って、情け容赦なくすぐに厳罰を下すからね〜。ホント、イエスは親に似ぬ不出来な息子だケロよ。
このとき、未来永劫にペンペン草の一本も生えないほどにエルサレムを焼き尽くしていれば、現代のイスラエルとパレスチナ問題の半分(首都エルサレムの帰属問題)は解決していると思うにゃ。
イエスは「平和ではなく、剣をもたらすためにやって来た」とか、「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。・・・。あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うか。そうではない。言っておくが、分裂だ」と言っているので、ホント、質(たち)が悪いにゃ。なんでこの神さまはこんなに災いの種を人の世に蒔くにゃ。

それにしても、この「神の(息)子たち、the sons of God」って一体、なんだろうね?

実は、旧約聖書の創世記には、こういう奇妙な箇所、どう考えても辻褄が合わない記述がこの他にも多数存在するんだケロ。

この件について、ブラゲロ・マムシはどう考えるのか、その考えを聞いてみたいにゃ。
 ーーthe sons of Godを受ける動詞は単数、複数形のどちらなのか? 英語、日本語だとこの呼応関係がわからんのだよ。sonsと複数形になっているが、動詞が単数形のそれだとすれば、the sons of Godはイエスということになるんだよね〜。ーー

カトリックなどの正統キリスト教(?)からは偽典とされる「第一エノク書」には、この「神の(息)子たち」は、アゼザルらの天使ーー堕ちる前だから堕天使ではなく天使ーーのことで、アザゼルらの天使たちが美しい人間の娘たちに恋し、その娘たちと交わり、ネフィリム(巨人)たちを設けたなんてグノーシス的なことを書いてありますが・・・。


アザゼルが出たので、このアニソンも埋め込んでおこう。


「the sons of Godはアダムとイブを始祖とする男の子たちで、霊性において男子におとる女の子たちを”人の娘”で表している」と解釈することもできるのかもしれないが、男女平等が叫ばれる現代にこんなことを口にしたら、袋にされ、タコ殴りされてしまうので、そんな恐ろしいことを口にするわけにはいかないにゃ。


この動画の「たこルカ」のように、はちゅねミクにネギでタコ殴りにされてしまうにゃ。

それとも、ここに出てくる「神の(息)子たち」とは、ユダヤ教のタルムードなどに登場するイヴ(エヴァ)の前に神が創造したとされる最初の女・リリスの子どもたちのことか。

 エヴァンゲリオン リリスとは?
 https://goo.gl/ae2xQD



リリス
・・・
『創世記』1章27節のくだり「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女にかたどって創造された」(アダムの肋骨からイヴが誕生する前の節である)から、アダムにはイヴ以前に妻がいたという伝承が生まれた。この発想は、創世記2:21のイヴがアダムの肋骨もしくは脇腹から造られたという記述との矛盾を解消しようとするものであったと考えられる・・・。
https://goo.gl/vg5wYp

そう言えば、ダビデも、旧約聖書の「サムエル記」の中で、ペリシテ人の巨人ゴリアテと戦っていたよな。
そして、ゴリアテといえば・・・。


この動画の一番後ろの巨大な奴がゴリアテ(人形)だにゃ。


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bragelone

まづ 動詞の活用形が 単数か複数かについてです。

基本として 神( Elohim = 複数形( -im )は その動詞を単数形で表わしています。

▲ Gen 1:1 ~~~~~~~~~~~~~~~
https://www.blueletterbible.org/kjv/gen/1/1/t_conc_1001

1:1 בְּרֵאשִׁית בָּרָא אֱלֹהִים אֵת הַשָּׁמַיִם וְאֵת הָאָֽרֶץ
( be-reshit bara' Elohiym et ha-shamaim wa-et ha-arets )
( in-beginning 〔he-〕created God 〈acc.〉the-heaven and〈acc.〉the earth.)
△(KJV) In the beginning God created the heaven and the earth.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ すなわち 複数形の主語(Elohiym = Gods )を 単数の活用形( bara' )で承けています。   

次のように活用します。その中で 過去形(完了相)を取り上げます。
▲ (verb conjugation in Hebrew) ~~~~~
http://conjugator.reverso.net/conjugation-hebrew-verb-%D7%91%D6%BC%D6%B8%D7%A8%D6%B8%D7%90.html

Past
1.sg. m.=f. אני בָּרָאתִי
(ani = I ) barati

2.sg. m. אתה בָּרָאתָ
(attah = thou )  barata
2.sg.f. את בָּרָאת
(at = thou(f.))  baratt

3.sg.m. הוא בָּרָא
(hu = he )  bara (バーラー)
3.sg.f. היא בָּרְאָה
(hi = she )  bar'ah(バルアー)

1.pl. m=f. אנחנו בָּרָאנוּ
( anahnu = we )baranu

2.pl.m. אתם בְּרָאתֶם
( atem = you )  beratem
2.pl.f. אתן בְּרָאתֶן
( aten = you(f.) )  beratenn

3.pl.m. הם בָּרְאוּ
(hem = they ) bar'u(バルウー)
3.pl.f. הן בָּרְאוּ
( hen = they(f.) ) bar'u
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ そこで 《神の息子たち》についてみたところ これは そのまま複数形の動詞で承けていました。

▲ Gen 6:2 ~~~~~~~~~~~~~
https://www.blueletterbible.org/kjv/gen/6/1/t_conc_6002
Gen 6:2

That the sons of God saw(יִּרְאוּ yir'u = 3.pl.m. ) the daughters of men that they were fair;
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ この場合は Future (=不完了相)のところを見てください。三人称の単数と複数のみを取り上げます。

▲ verb conjugation in Hebrew ~~~~~~~~
http://conjugator.reverso.net/conjugation-hebrew-verb-%D7%A8%D6%B8%D7%90%D6%B8%D7%94.html

Future

・・・
3.sg.m. הוא יִרְאֶה
( hu = he ) yir'eh (イルエー)

・・・
3.pl.m. הם יִרְאוּ
(hem = they ) yir'u(イルウー)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 意味は過去ですが この場合 《wa ワー = and 》のあとに付けているので 形としては 不完了相( Future として示されている)で表わしています。
《そのあと 何々した》という意味を 《そして‐何々している》という表現形式と活用形で示しています。


《神の息子たち》は イエスキリストのことではないらしいです。



アルジャジーラのニュースを視聴していると アナウンサーが《ワー》といって文をつなぐ場面がたびたび聞かれます。これが 《そして何々している》という表現形式だと思ってみています。

そのほかのことは ちんぷんかんぷんですが。

by bragelone (2018-10-29 07:21) 

bragelone

《リリス》の件についてです。言いかえると ヒトは どうして二度生まれたのか?

▲ (創世記:ヒトの創造) ~~~~~~~~~~~~
http://bible.salterrae.net/kougo/html/genesis.html

△ ( 1:27 ) 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

△ ( 2:18-25 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。・・・そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。

主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。 そのとき、人は言った。
「これこそ、ついにわたしの骨の骨、
わたしの肉の肉。
男から取ったものだから、
これを女と名づけよう」。
それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ 当てずっぽを述べます。

《あばら骨》がどんな意味を持つのか よく分かりませんが 最初の創造が まさに一般的な《ヒトの創造――その内訳は 男と女――》であると考えます。

あとの場合は すでに創造されたはずの《女》がふたたび作られる。ということですが こちらの場合は 単純に性差のあることを言っているのではないか? という推測です。

最初の場合にも 性差はあるのですが それでもその性差を超えて 両性に共通の人間性というものに焦点を当てているのだと。


キベンかもですが。
by bragelone (2018-10-29 10:18) 

bragelone

◇ それにしても、この「神の(息)子たち、the sons of God」って一体、なんだろうね?
☆ 残念ながら わたしも分かりません。

分からないというわけは 次のような説明に従いたい気持ちがあります。

▲ (Wikiped: Sons of God ) ~~~~~~~~~
https://en.wikipedia.org/wiki/Sons_of_God

§ 1 Hebrew Bible
§ 1.1 Genesis 6

Nahum M. Sarna believes that the text defies certain interpretation, based on difficulties with the text's themes, extreme terseness, vocabulary, and syntax.

Sarna postulates that such a passage cannot be other than a fragment, or bare outline, from a well-known fuller story.
~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ どこかの・何かの資料が 断片的に知られているそのままを聖書記者らは 覚え書き程度に記録しておいた。というほどのものではないかと。


▲ ( ibid. ) ~~~~~~~~~~~~~~
§ 3 Interpretation
§ 3.1 Christian antiquity

Augustine of Hippo subscribed to this view, based on the orations of Julius Africanus in his book City of God, which refer to

 the "sons of God" as being descendants of Seth (or Sethites), the pure line of Adam.

The "daughters of men" are viewed as the descendants of Cain (or Cainites).
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ 《無難な解釈》なように見えます。アダムの子孫を 神に従順な血筋と さからうカインの血筋とに分けたという。

ちょっとお行儀が良すぎる解釈なようにも思うのですが。
by bragelone (2018-10-29 10:35) 

nemurineko

なるほど、
アダムの子孫を、神に従順な血筋と、さからうカインの血筋とに分けて、記述しているというわけですか。

神、または、御使いが、火と硫黄で焼きつくしたソドムを脱出したロトとその2人の娘との間で行われた近親相姦と同じ構図だというわけですね。

牧師泣かせな聖書箇所 ロトと二人の娘(近親相姦)
http://blog.livedoor.jp/yokoya2000/archives/1756736.html

ロトと二人の娘の間で生まれた子孫がモアブ人やアンモン人になった。モアブ人やアンモン人は、父親と実の娘の間で生まれた罪の子どもたちだから、神の選民であるユダヤ・イスラエルの民とは違うのだという話になる。

by nemurineko (2018-10-29 11:38) 

bragelone

タマルは 夫の死後にですけれど 舅のユダとの交わりをのぞみ 子をもうけています。(例のオナンの話も絡む物語ですね)。

▲ (ヰキぺ:タマル (創世記)) 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%9E%E3%83%AB_(%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98)

☆ その子は 双子でしたが ペレツとゼラと名づけられ ペレツ(パレス)は 遠くダヰデの祖先に成っています。つまり イエスの血筋だと見られます。

▲ (マタイによる福音書:冒頭・イエスの系譜) ~~~~
1:1 アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。

1:2 アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、
1:3 ユダはタマル(女性)によるパレスとザラとの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、
1:4 アラムはアミナダブの父、アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、
1:5 サルモンはラハブ(女性)によるボアズの父、ボアズはルツ(女性)によるオベデの父、オベデはエッサイの父、
1:6 エッサイはダビデ王の父であった。・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ ここで ラハブ( 1:5 )は 敵の町エリコに住んだ遊女です。

そして ルツ( 1:5 )は モアブ人であり 触れられているロトとロトの長女との間に生まれた息子モアブからの子孫です。



〇 自性清浄心!!!!!!
by bragelone (2018-10-29 15:54) 

Tastenkasten

聖書学者や考古学者も解明できない箇所ですから、安易な解釈は避けた方がよいのではないでしょうか。「神の子たち」は、動詞もそうですが、名詞がそもそも複数形ですから、それは間違いないですね。

בֵּן (bén) = son
בְּנֵי־‎( b'né) = sons
daughter = (bat) בת)
בָּנוֹת‎ (banót) = daughters
רָאָה (ra'á) = see
רָאוּ‎ = saw(三人称複数)

ヘブライ語には「孫」を表す言葉がなく、「息子」は子孫全員を指すのにも使われるそうです。そして、「人間」「イスラエル人」「天使」と直接言うことができないので、ben adam(アダムの子)、benej jisrael(イスラエルの子ら)、benej el/benej elohim(神の子ら)のように言い表します。
この箇所の「神の子たち」についてはいろいろな解釈がありますが、聖書で「神の子ら」と複数にするときは、人間よりも神に近い「天人」を意味し、ヨブの書にも、「神の子らが主のみ前に出たとき、その中に敵(悪魔)も混じっていた」とあります。旧約聖書のもっとも古いギリシャ語訳である七十人訳聖書では「天使」となっており、「ネピウム」を生んだ天使の肉体的な罪という話になっているようです。当時はまだ、「天使の霊性」というものが確立していなかったため、天使が肉体的な罪を犯すという考え方は可能で、4世紀以前の教父たちはそのように解釈したそうですが、4世紀以降の教父たちはこの解釈に強硬に反対し、トマス・アクィナスが、「神の子ら」はセトの子孫であり、「人間の娘たち」はカインの子孫であるという道徳的な解釈を出してからは、それが16世紀ごろまで支持されました。ほかにもいろいろな解釈があるようですが、霊である天使と女との肉体関係はあり得ないということで、「傲慢の罪」とも解釈されます。なお、この「神の子ら」をキリストとする解釈はどこにも見当たりません。
しかし、これについてはドイツ聖書協会に徹底した解説があるので、そちらの方がずっと興味深いように思います。「神の息子たち(Gottessöhne」ではなく、「神々の息子たち(Göttersöhne)」という見出しです。非常に細かく詳しい解説なので、要点だけを抜きます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
Göttersöhne

「神々の息子たち」という用語は、旧約聖書では常に「天界の者たち」を意味する。その意味の範囲は二つあり、多神教のパンテオンとの関連での神々という属名、そして、ヤハウェの側近という名称である。旧約聖書後期と初期ユダヤ教では、天使の意味に取られる傾向が強くなっていった。

「神々の息子たち」bənê ha’älohîm は、意味的にも分類的にも、明らかにカナンのパンテオンに起源をもつ「天人」を意味する。語源的には、ウガリット語の bn ’il(神の息子・息子たち)あるいは bn ’ilm(神々の息子・息子たち)と同源で、ウガリットとフェニキアの伝統との顕著な類似が見られる。ウガリット語の楔形文字の文献に、神々の王エール(El)が治めるパンテオンという観念が見て取れる。したがって、bn ’il は、「El の息子(たち)」と説明でき、エールの下位の神々という意味が出てくる。おそらく、エールとその妻である女神アーシラトの血統と解することさえできるであろう。bənê ha’älohîm は、単数、複数両方の意味になり得るため、その区別は重要であるが、それは文脈によって判断するしかない。

3行目に、主ヤハウェが人間の命を120年と限るとあるが、この詩行は孤立しており、ヤハウェはほかに何の役割もはたしていない。神々の息子たちの行為に何の反応もせず罰してもいない。「神々の息子たち」は、ヤハウェとは無関係に振る舞っている天界の者たちとして考えられているようで、これが創世記第6章の成立年代の特定を困難にしている。カナンの多神教的な神話を伝える非常に古いものなのか、あるいはすでに天使の概念が成立した後のことなのか不明である。

旧約聖書における「神々の息子たち」は、一方では多神教の神々の体系の痕跡を示し、また一方では、ヤハウェの優位性を特徴づけるために引き合いに出される。

ユダヤ教では、一神教との矛盾が生じることから、「神々の息子たち」の語をしばしば「天使」に置き換えた。ギリシャ語の七十人訳聖書でも「神の天使たち」と訳されており、ほかのギリシャ語の写本でも同様である。この解釈は、のちに堕天使となる「守護天使」(Wächterengel)とされるエノク書に顕著である(「エノク書」は、ドイツでは Buch der Wächter「守護者の書」と呼ばれる)。「神々の息子たち」という用語が時代遅れになってくると、「神の教えを守る義人」の意味で使われるようになる。少しあとのラビのユダヤ教でも、「天使」の意味とされたのち、「神の意志を行う人間」の意味へ変わり、2世紀のラビ、シモン・バル=ヨハイ(ハドリアヌス帝の時代)は、創世記解釈のミドラーシュ「ベレシート・ラバー」の中で、「神々の息子たち」を「士師(裁判官)の息子たち」、つまり「裁判官」と呼び、神的権限を持つ特別な人間、しかしあくまでも単なる人間として、「天使」という解釈を退けた。

キリスト教でも、新約聖書は初期ユダヤ教に結びついており、「義人」の意味に倣って、「イエスに属する共同体」の意味ととる。ガラツィア人への手紙3-26では、「あなた方はみな、イエスへの信仰により神の子である」とする。特殊な例は、ルカ福音書20-36にある「死から復活したキリスト教者たち」としての「神の子たち」で、不死身であることから「天使に似た」と形容されており、ここでは「天使」としての解釈と「人間」としての解釈の両方が残っているのかもしれない。中世のトマス・アクィナスは、天使も人間もともに神から子の代わりとして受け入れられているという理由から、天使を、愛と恩寵の中に生きる人間のように「神の息子たち」と名付ける、ということを根拠とする。
https://www.bibelwissenschaft.de/wibilex/das-bibellexikon/lexikon/sachwort/anzeigen/details/goettersoehne/ch/62a7af2e8e0b4337b7900e2888c8daba/
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「ネピウム」も、語源的には「巨人」ではないようです。しかし、ギリシャ語の七十人訳ではすでに「巨人」と訳されているので、その解釈が古くからあることは確かです。これもドイツ聖書協会の解説から。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
Nephilim

聖書解釈史においても、またたいていの翻訳においても、ほぼ統一的に「巨人」、あるいは少なくとも「大きく力強い人間」として見られているが、この意味の由来は闇の中である。「ネフィリム」と動詞 נפל (nafál 落ちる) との関係はきっとあると思われるが、どのような意味の文脈での「落ちる(倒れる)」に当てはまるだろうか。「(天から)落ちる」から「死んで倒れる」あるいは「戦いで死ぬ」まで、推測は広くなる。最初の意味、「天から落ちる」は、せいぜいエノク書の影響を呼び起こせるだけだが、二番目の意味としては、創世記6-4と用語的に興味深い類似となるエゼキエルの書32-27がある。ファラオが墓へ下ることを嘆き歌う文脈で、「そして彼ら(メシェクとトゥバル)は英雄 (גִּבּוֹרִים gibbôrîm) とともに横たわることはなく、割礼無き者の中の落ちたる者 (נֹפְלִים nofǝlîm)…」とある。「英雄」と「落ちたる者」のに誤の類似から、創世記6-4のネフィリムが、戦いで倒れた過去の英雄であるというのは十分考えられることである。

宗教史的背景から見ても、「ネフィウム」の意味は明らかではない。巨人族アナクのことも指すが、関連のあるものとしては創世記14-5に出てくる「レファイム」があり、これは「死者の霊、祖先の霊」の意味で、6-4の「昔から名のある者たち」との類似とみることができる。
https://www.bibelwissenschaft.de/wibilex/das-bibellexikon/lexikon/sachwort/anzeigen/details/nephilim/ch/2558cd5711fbdef4ff27fb8df7807f08/
~~~~~~~~~~~~~~~
下の聖書サイトでは、ヘブライ語の原文の上に、主要な翻訳を選択して表示できますが、ヘブライ語の下には、それを直訳した英文が出ており、ヘブライ語の単語をクリックすると、対応する英訳の箇所が赤色で示されます。4行目の最初の単語が「ネピウム」で、ヘブライ語なので一番右端の単語ですが、これをクリックすると、The fallen ones(落ちたる者たち)が赤に変わります。ルターのドイツ語訳では Tyrannen(暴君たち)と訳されていますが、エゼキエルの書には「生きる者の地に恐れを巻き起こしていた、勇士の敵だった」とあり、創世記6-5の描写と重なります。とすると、怪物のような巨人ではないですね。エゼキエルの書がカギになるかもしれません。

by Tastenkasten (2018-10-29 23:33) 

Tastenkasten

変換ミスです。

「英雄」と「落ちたる者」のに誤の類似
    ↓
「英雄」と「落ちたる者」の二語の類似
by Tastenkasten (2018-10-29 23:40) 

Tastenkasten

聖書サイトのリンクも張り忘れました。

http://line-upon-line.com/de/gen/6
by Tastenkasten (2018-10-29 23:41) 

Tastenkasten

最初のdaughter = (bat) בת)

の箇所は、こちらにコピーしたら左右が逆になってしまいました。
by Tastenkasten (2018-10-29 23:43) 

nemurineko

Tastenkastenさん、こんばんは。

ソドムとゴモラを焼きつくす前に、神さまと御使いがアブラハムの前に姿を表しますよね。(創世記18章)

そして、神さまと別れた2柱の御使いがソドムに向かい、アブラハムの甥であるロトの前に姿を表し、ロトの招きを受けて、ロトの家に入ってゆく。
その御使いの姿を見たソドムの人々がロトに叫んで言った、「今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知る(「性行為をする」の意)であろう」。 (創世記19章)

というわけで、
創世記に登場する御使い・天使は肉体をもっており、ヒトと交わることが可能ということになるんじゃないですか。
そうではないと、この文章は成立し得ない。

また、この箇所を読むと、神さまと御使い・天使の違いが、正直、よくわからないんですよ。
アブラハムやロトは、神さまだけでなく御使い・天使も「主」と呼んでいますから。
たぶん、御使い・天使は、神さまの分霊みたいなもの、あるいは、神さまと明確な区別ができない〈神さまもどき〉、アバター(化身)の存在と考えられているに違いない。

一般に、旧約聖書の創世記は、バビロン捕囚中、または、バビロン捕囚後に作成された文書とされていますので、ゾロアスター教の影響を強く受けているはずなんです。
ゾロアスター教の神さま(アフラ・ムズダー)と天使はどちらも神さまですから、神さまと天使の区別なんてものはあってないが如しのもの。
便宜上、アフラ・マズダー以外の(善)神を天使と呼び、アフラ・マズダーと区別しているだけですから。

ゲーム「女神転生2」だったかな。
このゲームでは、ユダヤ教の神さま「ヤーウェ」を倒すことができるのですが、「ヤーウェ」の分霊というべきものがものが登場します。
創世記の神さまと天使の関係は、この解釈が意外に正しいのかもしれない。
だって、一柱の「主」が、突然、三柱に分かれますから(^^ゞ

by nemurineko (2018-10-30 02:18) 

bragelone

1. 聖書の哲学とは何か ってことでしょう?

2. 聖書の中身を腑分けしておけ ということでは?

3. 基本として次の三つに。

P: 経験科学たる哲学(これを 神論と呼ぼう)
L: 経験合理性から自由に物語を展開する文学作品
T: われなる主観の内であたかも特殊絶対性(しばしば独り善がり)を形成する神観(これは 人びとの間で共有されると 神学を構成する)

4. 神をどう捉えるかの順序にしたがって 次のように解剖する。

① P: 神は 超自然・超経験の場もしくはチカラである

② P: 概念説明として 絶対性・真無限

③ L&T: 相対的で有限なる存在たる人間にとって 絶対性は 真理・〔善悪の彼岸としての〕至高の善・〔好悪・愛憎を超えた〕愛と受け留めたい気持ち

④ L&T: 神の擬人化(物語化):絶対性→絶対者

⑤ L&T: 絶対者たる神は 創造主なり

⑥ L&T: 神は 属性として 慈愛深く・全知全能である。

⑦ L&T: 被造物なる経験世界は 神の意志のハタラキである摂理にしたがう

⑧ L&T: 摂理の一環として 神のことばを預かる預言者が 人間の間から出る

⑨ L&T: あるいは 人が存在として預言者であるのでなくても 神の言葉を聞くことがある。それは 神の使い(天使)がもたらすと設定する

⑩ L&T: 神が そのまま肉(つまり 身心を持った人間なる存在)に成ったという虚構を生む〔までに到る〕

⑪ L&T: 神とその子(独り子)なる神とその両者から発する聖霊なる神という神観=神学を形成

⑫ L&T&P: 無限ゆえ 三つに分割されるのではなく それぞれの個が 全体としての無限である

⑬ L&T: 光の〔粗い〕タトへで それぞれ光源とその発耀とその両者から現われる明るさや暖かさに当てられる

⑭ L&T: 子なる神〔だけ〕が 肉と成ったという物語〔としての神学〕

⑮ L&T: イエス(肉)=キリスト(子なる神)と呼ばれた人間が 自分は或る預言者の語った言葉を成就するためにやって来たと言った

▲ (ルカによる福音 4:16-21 ) ~~~~~~~
16 〔イエスは〕 それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。 17 すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、

18 「主の御霊がわたしに宿っている。
 貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、
 わたしを聖別してくださったからである。
 主はわたしをつかわして、
 囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、
 打ちひしがれている者に自由を得させ、
19 主のめぐみの年を告げ知らせるのである」(イザヤ書61:1-2)。

20 イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。
21 そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

⑯ P: イエスは 大嘘をついたとも・大法螺を吹いたとも見られる。と同時に 虚構(物語)〔が預言者らをつうじて編まれて来たという歴史の〕チカラを利用して 超自然なる神を指し示した。とも見られる。

⑰ P: 指し示された神は 人間にとってその能力や努力によっては分かるか分からないかが分からないナゾだと伝えられた。(律法はモーセをつうじて 真理はイエスをつうじて=ヨハネ福音の冒頭)。

⑱ P: ▼ (ヘーゲルによる解説:無限と有限) ~~~~
無限なものと 有限なものとの一体性・・・この矛盾・・・は 
どんな自然的なものも自分のなかにこれを持ってはいない 
ないしはこれを 我慢できないであろうが 
この矛盾を持ちこたえることができるのが 
人格(☆ ――もしくは《わが固有の時間》――)の高さである。
(『法の哲学』§35追加(講義録)藤野渉・赤澤正敏訳 1967)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・・・・
by bragelone (2018-10-30 19:25) 

Tastenkasten

こんばんは。
追加のコメントを書きかけてあったのですが、いろいろ用事があって中断したまま、間がだいぶ空きました。

日本語の情報だけを御覧になっているのかもしれませんが、現代の聖書研究は非常に進んでいるようで、欧米の研究を見ると認識を改めなければならないことが多々あると思います。

>「今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知る(「性行為をする」の意)であろう」。(創世記19章)というわけで、創世記に登場する御使い・天使は肉体をもっており、ヒトと交わることが可能ということになるんじゃないですか。そうではないと、この文章は成立し得ない。

これは読み違いだと思うのですが。このセリフは天使のものではなく、ロトの家に押しかけた町の男たちのものですね。この部分は、当時ひどかった男色を戒めるためのものとも言われていますが、ロトの家の客人である「二人の男」を男色の対象として差し出せと詰め寄っているわけですよね。ヘブライ語からの直訳では、「男たちはどこにいるか」となっていて、ここに押しかけている町の男たちは、この客人が天使であると知ってはいないでしょう。ただの男たちだと思って、自分たちの肉欲を満たすためだという意味で「知る」と言っているだけですから、この文を、天使が肉体を持っておりヒトと交わることが可能であることを示しているとみなすのは無理と思います。そして、男たちが家に押し入ろうとすると、天使たちはまばゆい光を発して何も見えなくしてしまいますので、交わってもおらす、6章の箇所とは状況が違います。

>また、この箇所を読むと、神さまと御使い・天使の違いが、正直、よくわからないんですよ。アブラハムやロトは、神さまだけでなく御使い・天使も「主」と呼んでいますから。たぶん、御使い・天使は、神さまの分霊みたいなもの、あるいは、神さまと明確な区別ができない〈神さまもどき〉、アバター(化身)の存在と考えられているに違いない。

一神教としてのキリスト教成立後は、「聖なる書」である聖書は、必然的にその教義に合致した統一的な内容であるはずだということを最初から前提とて解釈したわけですが、ねむりねこさんもそれと同じ前提で読もうとされているのでは? 信者、特に教団側の人間が、聖書の内容を何とか矛盾なく説明しなければならなかったのは当然ですが、現代の聖書学は神学でも哲学でもなく、考古学や古代オリエント学、言語学などの成果などを踏まえて、その歴史的な成立の経過を追いつつ、聖書を純粋に文献として分析する科学的な学問なので、先のコメントにも書いたように、旧約聖書には古代の多神教の要素があちこちに残っていると見るのです。古代イスラエルでは、古い文献を書写するとき、一字一句変えずに忠実にコピーする伝統がすでにあったらしく、紀元前の写本と中世の写本の間にも、それほど大きな差異はないといいます。一神教の概念が確立する前から写本が行われており、確立した後もなるべく原典を変えずに写しながら、何とか一神教の教義に合わせようと最低限の改訂をした結果、つじつまの合わないところ、説明のつかないところができてしまったとしても不思議ではないですね。

ドイツ聖書協会の聖書用語辞典によると、旧約聖書での「天使」には二つの側面があって、一つは「神の顕現(エピファニー)」、もう一つは「天上の議会のメンバー」です。旧約聖書の何か所かでは「ヤハウェの天使(単数)」という表現がありますが、その場合しばしば、その「天使」というのが独立した別の神格なのか、それとも神自信を指しているのか、ほとんど決定することができないと書かれていますが、これはねむりねこさんが抱いている印象と一致します。このことは、描かれている顕現、エピファニーが、古代イスラエル時代の聖地に関連付けられるという伝承史の調査結果を映し出すもので、最初は様々な異なる地方神たちがいたのですが、一神教的省察によって、その神々から「イスラエルの唯一神」というものが生成したわけです。「ヤハウェの天使」という形を借りることで、神はその超越性を損なうことなく、言葉、声、そして触れることで人間に向き合うことができます。「天使」と訳されている語は、ヘブライ語では「メッセンジャー」に当たる言葉のようですが、この場合、文字通りの「使いの者」という意味よりも、「知らせ」の意味の方が前面に出ているということで、別の神格と感じにくくされているので、一神教の概念が成立した後に改変されたものであろうと思います。つまり、一神教ということを厳格に確立したければ、御使いも天使も、人間と直接接するために神が姿を変えたものととらえる方が、都合がいいということですね。
もう一方の側面ですが、天上で神々が議会を開いているという想像は非常に古くからあって、やはりウガリット神話にさかのぼります。ウガリットの最高神はエール(イル)ですが、その息子のバアル(ベル)というのが議会を治める神です。このあたりのことも詳しく読んでいたのですが、長く複雑な歴史なので少し端折ります。簡単に言うと、このバアルとヤハウェの対立の図式ができていったようなのです。詩篇などの中には、「ほかの神々」と読める語が何か所かにあり、それに対してヤハウェのみが絶対であるかのような表現になっていたと思います。やはり、多神教時代の「神々」の概念が残っていて、それを否定するために手を加えているような印象を受けます。

>一般に、旧約聖書の創世記は、バビロン捕囚中、または、バビロン捕囚後に作成された文書とされていますので、ゾロアスター教の影響を強く受けているはずなんです。ゾロアスター教の神さま(アフラ・ムズダー)と天使はどちらも神さまですから、神さまと天使の区別なんてものはあってないが如しのもの。便宜上、アフラ・マズダー以外の(善)神を天使と呼び、アフラ・マズダーと区別しているだけですから。

「バビロン捕囚後に作成された文書」という説明は、日本語でよく見られるものなのでしょうか。たとえば日本語版ウィキペディアの「バビロン捕囚」の項を見ると、「天地創造などの物語もこの時期に記述されていった」というような意のことが書いてありますが、これは誤解を招く書き方ですね。スイス・ベルン大学の聖書研究所の教授その他がまとめた最近の『旧約聖書の成立』では、旧約聖書の成立年代を紀元前1560~400年ごろとしています。また、ドイツの一般の学校の生徒用のテキストでも、旧約聖書の成立を三期に分けて教えています。

第一期 紀元前1100年まで 口承の時代
第二期 紀元前1100~600年 口承伝説を書きとめる時代
第三期 紀元前600~200年 それ以前に書きとめられたものを編集し、ユダヤ教の経典としてまとめた時代

旧約聖書のテキストの起源をウガリットに置く考え方が定説になっているように見えます。なので、バビロン捕囚時代というのは、旧約聖書編集の最終段階であって、ここで新たに書かれたものではないですね。ウガリット神話はゾロアスターよりずっと前ですし、そもそも創世記の物語の要素のいくつかは、それよりさらにさかのぼることができます。ゾロアスターからの影響があるとしても、改変された部分とか、旧約聖書成立後の神学における解釈の方だけではないでしょうか。

ノアの洪水が単なる神話ではなく、史実を伝えるものではないかという説はよく知られています。旧約聖書以外の古い神話など広く分布していますが、起源はメソポタミアと言われます。「メソポタミア」はそもそも「複数の川の間」という意味で、ドイツ語では Zweistromland(二つの川の国)という言い方もありますが、チグリスとユーフラテスの間にあるので、この二つの川が氾濫すれば、その間の平野は全滅しますね。シュメール神話にはこの洪水伝説がありますが、そこでは、人間たちが夫役を果たさないことに怒った神々がこれを滅ぼそうとしたという話になっています。ノアに当たる人物はアトラハシスとなっていて、滅ぼそうとするのは神々の王エンリル、アトラハシスに洪水を警告して助けようとするのは、その腹違いの神エンキです。エンキがその計画を漏らしたことで、神々の議会が招集されます。神が人間を亡ぼすことと救おうとすることを同時に行う旧約聖書のこの部分は、異なる神が行ったという多神教説話の名残で、一神教的な論拠が確かでないという理由から古来反発の多かった箇所です。古くから聖書学者の批判や様々な解釈がありました(具体的な内容は、今は省略します)。
ほかにも、バベルの塔の話で知られる、人間たちにちがう言葉を話させて混乱させたという話も、シュメール神話にその原型がありますし、バベルの塔自体も、メソポタミアのジッグラドというものだったのではないかという説があります。なので、旧約聖書のテキストの原型は、相当古い多神教世界の説話が下敷きになっているはずですね。

>ゲーム「女神転生2」だったかな。このゲームでは、ユダヤ教の神さま「ヤーウェ」を倒すことができるのですが、「ヤーウェ」の分霊というべきものがものが登場します。創世記の神さまと天使の関係は、この解釈が意外に正しいのかもしれない。だって、一柱の「主」が、突然、三柱に分かれますから(^^ゞ

ゲームには全く無知なのでわかりませんが、三位一体というのは2世紀のテルトゥリアヌスからですね。このころからすでに話がおかしくなっているように感じます。ユダヤ教では三位一体という考え方はしませんが、いずれにしても、一神教の教義に合わせるためにいろいろな後付の理論を加えたのが三位一体のような神学なのでしょう。ヨーロッパで一般の人に「三位一体とはなんだ」と聞いても、「それはただ信じろというドグマに過ぎないのでわからない」と言われます。しかし、聖書の成立過程を追っていくと、怒られるかもしれませんが、多神教の残滓を持て余しての壮大な無駄なのでは、とつい思ってしまいます。そもそも、新しい宗教の教義や経典をゼロから新しく想像するというのは大変なことで、それ以前の宗教の要素を引き継いで混ざっていくというのは、世界中のあらゆる宗教に見られることではないですか。

長くなったので、今回のこの話は終わりにしますが、私は宗教的な人間ではないので、文献学的、科学的、合理的な見方しかできませんし、むしろそういう考察の方が、解釈するとか哲学するなどということよりもスリリングに感じるのです。できる限り「事実」の方を知りたいので、解釈や議論にはそれほど興味がないのでしょう。

by Tastenkasten (2018-11-12 00:08) 

nemurineko

こんにちは。

☆現代の聖書学は神学でも哲学でもなく、考古学や古代オリエント学、言語学などの成果などを踏まえて、その歴史的な成立の経過を追いつつ、聖書を純粋に文献として分析する科学的な学問なので・・・。
◇旧約聖書は多神教的だと思いますよ。
客観的に旧約聖書を読めば、神様はユダヤ・キリスト教(イスラム教も)の神様だけと考えるのは無理がある。
旧約聖書に書かれているのは、「イスラエルの民の神様はひとりだ」ですから。
少なくとも、旧約聖書では「唯一」はこの意味で捉えるべきだと思います。
もっとも、この「唯一神」思想は、アメンホテプ4世の宗教改革の影響を受けて成立したものと考えられますが・・・。
https://goo.gl/3Z7b7Y

☆旧約聖書での「天使」には二つの側面があって、一つは「神の顕現(エピファニー)」、もう一つは「天上の議会のメンバー」です。
◇創世記に出てくる「御使い」は前者の「神の顕現」の方ですよね。
天使が天上議会(日本の記紀神話だと、何か、事が起こると、神々が集まって会議を開く相当するものか)のメンバーかどうかは疑わしいと思いますが・・・。
ウガリットでも、バビロニアの古代神話(たとえば、ギルガメッシュ叙事詩やマルドゥークにまつわる神話)でも、何か事が起きると、神様たちは集まって相談をしますよね。ギリシア神話もそうですね。

☆「バビロン捕囚後に作成された文書」という説明は、日本語でよく見られるものなのでしょうか。
◇バビロニアの世界創世神話との近親性、バビロン捕囚以前に創世記を含むモーセ五書を記したものが発見されていないといった事実などから、「天地創造などの物語もこの時期に記述された」のであろう、文字で記された文書として成文化された、という学説です。
紙や粘土板などに記されるようになったのはバビロン捕囚後のことで、それ以前に、今日モーセ五書とされるものの原型が存在しなかったという意味ではありません。

第一期 紀元前1100年まで 口承の時代
第二期 紀元前1100~600年 口承伝説を書きとめる時代
第三期 紀元前600~200年 それ以前に書きとめられたものを編集し、ユダヤ教の経典としてまとめた時代

ただ、この区分は、日本の記紀神話に基づく歴史と同じものなのでかなり疑わしいと思いますよ。
古代オリエント世界では、日常の些細な出来事まで何でも粘土板に記しちゃう世界ですよ。なのに、モーセ五書の断片すら第二期に発見されていませんから。
旧約聖書に書かれているように、ソロモン王国が隆盛を極めていたならば、イスラエルには残っていなくても、そのことを記したシリアやエジプトなどの文書が残っていないのは不自然ですよ。
古代オリエント世界において、現在のイスラエルのあたりは、エジプトなどの大国の半植民地だったんですから。
ダビデ、ソロモン王以前の旧約聖書のイスラエルについての歴史的記述は、古事記、日本書紀の大和朝廷成立を記した箇所と同じように、歴史学的に信用はおけないと思います。

ゾロアスター教云々についてですが、バビロン捕囚されていたユダヤ人を解放したのはアケメネス朝ペルシアのキュロス2世。
そして、アケメネス朝ペルシアの国教(?)はゾロアスター教なので、ユダヤ教がゾロアスター教の影響を受けていても不思議ではないんですよ。
「天上議会のメンバー」としての天使は、ゾロアスター教の影響を色濃く受けていると思います。
ミカエルとサタンを双子の兄弟とする物語(旧約聖書偽典、外典)なんかは、ゾロアスター教の善の神アフラ・マズダと悪の神アンラ・マンユ(アーリマン)をモデルとして生まれたものだと思います。

by nemurineko (2018-11-12 15:02) 

bragelone

一神教ですけれど ユダヤイズムは 拝一神教と呼ばれ 区別されています。

▲ (ヰキぺ:一神教) ~~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%A5%9E%E6%95%99
§ 1 概要
§ 1.1 成立に関する説

歴史上は、次に挙げる3種が区別できる。

① 単一神教( henotheism )または交替神教( kathenotheism ):多神をみとめつつ その時において一神をいだく。

② 拝一神教( monolatry ):同胞のあいだでは 唯一神をしかみとめない。他民族にあっては どんな神をいだこうが 一応 問題としない。
③ 絶対的一神教( monotheism ) :すべての民族・国民がただひとつの神を信ずべきだとする立場
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
by bragelone (2018-11-12 20:42) 

nemurineko

こんばんは。
拝一神教という言葉があるのですか。これは知りませんでした。

現代的なユダヤ教はともかく、旧約聖書に登場する古代ユダヤ教の神は「拝一神教」的な神ですよね。
イスラエルの民以外がどんな神を信じていようが、このことを問題視することはない。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のなかで、意外なことに、異民族の他の宗教に最も寛容なのがユダヤ教。

by nemurineko (2018-11-12 21:22) 

bragelone

ポレミックになることを恐れずに発言するなら:

ひとにとって《ただひとつの神》は 決して一神教といったオシヘが先行して出来たとは思えません。

感覚や思考をともなってか否かを問わず(これは あとの普遍性に係ります) 超自然なるナゾを思い浮かべたあと・そしてそのナゾを一般に神々として呼んでいたところへ 普遍性を捉えた人間がいた。

或る日或る時 その神から《おまえは この故郷を去って 行きなさい》と言われたと受け取った。普遍性は 絶対性でもあり この声の命ずるところに従った。

つまり アブラム――のちのアブラハム――の話ですが 遅くに授かった長子を 神にささげよという声を聞くと 苦悩の末にこれに従った。刃物を振り上げたときに やめなさいという声を聞いた。

こうして 一神信仰が現実において成り立った。



これが オシヘと成ったのは 人びとの社会的な秩序を保つために 倫理規範が必要と考えられ そこに法律(律法)が取り決められた時である。



このように アブラハムからモーセを経て イエスに到る歴史を抜きにしては 神論は始まらないでしょうし 宗教論も 骨抜きになると思います。
(アブラハムやイエスといった人名の問題ではなく 人間にとって《絶対性》をどう扱うかの問題としてです)。

おまけに 律法〔なる規範によって人を縛ること〕は 屁の河童だと言ったパウロをも付け加えたいです。


真理はきわめてシンプルなのだと思います。
《〈行け〉と言われたから行った》という単純性です。
日常生活における慣性の法則から去れという声であるなら 自然本性における良心の問題です。




(わたしが先に言ったのですが 先の者はあとになり 後の者が先になるわけですから 先を越された思いは乗り越えてください)。
by bragelone (2018-11-13 05:36) 

bragelone

三位一体論
編集
1. 三位一体論は オシヘではありません。それが ローマ教会やあるいはプロテスタントの教会における宗教としての教義になっていることと 神が三つの位格を持つと捉えたこの神観とは――思考としてはつながっていますが――別ものです。



2. つまり 或る人の信仰内容として表現された《特殊な絶対性》が 神観ですから それは そもそも独り善がりな神論(哲学・思想)です。



3. それがさらに宗教――組織宗教――にあって まもるべきオシヘとされ 神学として形成されるという事情のもとにあります。



4. 三位一体の説は もし信仰そのもの(つまり 非思考・非経験なる内容?)としてなら それを持つことは 個人の勝手です。ただし 誰からも相手にされません。話――対話――に成らないからです。



5. では 思想としてなら どうか? 非思考なる信仰から得られた〔と思われている〕経験的な思考をともなった内容をもって表現された場合は どう扱うか?



6. 要するに 現実世界との対応という観点から 妥当性がないなら ただちにゴミ箱行きです。



7. ところが 人間の心(精神)における三つのハタラキに対応すると考えられるのです。(これは アウグスティヌスが『三位一体論』で明らかにしました)。



8. しかもこの対応が 社会における《三権分立――分業において協業している。つまり全体として権力は一体――》にも当てはまると考えられたわけです。(わたしがやりました)。



9. 行政府は 立法者たちが取り決めた法律にもとづき共同自治をおこなうのですが その細部にわたっては 合法か違法かが問われ得ます。その問題は 司法府がさばきます。――こういった役割り分担やそのそれぞれの過程をともなう社会経営が 三つのハタラキの一体性を物語ります。



10. 人間たちのおこなう社会行為の一体性は すでに時間差をともなっています。想定している神の三つの位格については 時を隔てることなく 絶対的な一体性だという意味です。



11. すなわち 神にあっては すべてが《然り 然り。または 否 否》というかたちになります。司法・立法・行政の三権分立にあっては 案件ごとに《然りか または 否か》があらそわれます。そして 最終の――相対的なですが――結着にも 時間過程を要します。



12. といった世界のあり方・また人間の社会生活のあり方を考えさせるひとつのよすがに成っているのが 三位一体論だと考えられます。



13. 神論の持つ哲学的効用です。個人の神観は その内面にとどまります。組織宗教のオシヘとしての神学は そのみづからの立ち場たるタコツボから出ることが先決の問題です。普遍神のもとに身を(心を)おかねばなりません。(有効な神論へと展開することが出来るかも知れません)。



14. ちなみに きびしいことを言いますが もし哲学としての神論にうったえることを回避するようなアンチ神学ならば――あるいは 科学的・合理的な宗教史学等々であるのならば―― それがそもそも実質的に排他的な《一神教》と成っている思想だと言わねばならないと考えます。



15. 歴史事実と歴史の中に生きる人間の真実とは 別です。(ほんとうは同じひとつの《事実=真実》だとしても 人間の知力では 言葉による表現をともなっているからには その確認には限界があります)。したがって もし史実のみを明らかにするといった――M.ウェーバー流の価値自由性のみの――学問的探究でよしとするなら 決して悪意も故意もあるわけでないにもかかわらず 未必の意志行為としてあやまちになると思います。



16. なぜなら 名も無い人びと・その個人における人間の真実は けっきょく結果としてどうでもよいとして突っぱねた格好になると思われるからです。ウェーバーだって 最終には自己の価値判断をおこないます。



(恩返しになり得るなら それ以上のよろこびはありません)。
by bragelone (2018-11-13 09:41) 

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