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お前ら、ネムネコにこのドリルの答を教えるにゃ [ひとこと言わねば]

何が書かれているのかネムネコにはまったく意味不明なので、誰か、ネムネコに、デカルトの光の屈折に関する以下の説明を解説してくれ。

 

kusssetsu-00.png光線がある透明な物体から他の物体の中へ斜めに進入するとき、その物体が光線をより容易に受け入れる場合は他の物体に比べて、光線はその物体の表面で常により少なく傾斜するように向きを変えるといわねばならない。そしてこのことは、その物体が光線を受け入れる方法が、他の物体に比べてより容易であるかどうかにちょうど比例して起こる。ただ注意しなければならないのは、この傾斜はCBあるいはAHとか、EB あるいはIGとか、互いに比較されるこのような直線によって測られねばならず、ABHGBIといった角度、ましてや屈折角と呼ばれるDBIに似たような角度で測られてはならないということである。というのはこれらの角度の間の比、あるいは比例は、光線の傾斜によってすべて変わるからである。これに反して線AHIGなどの間の比例は屈折が同一物質によって引き起こされる場合には必ず同一のままである。

(略)

 

(注 下線部はデカルトの考える屈折角であって今の屈折角ではない)

 

 

この文章は、

http://math-info.criced.tsukuba.ac.jp/Forall/project/history/2003/construction_of_hyperbola/doc/text_1st.pdf

に出ているのだけれど、これがまたさっぱりわからない。

つまり、ネムネコは、筑波の教育学科(2年生)の学生さんたちよりずっとずっとアタマが悪いということか(^^ゞ。

自分のアタマが不自由なのは知っていたけれど、まさか、これほど不自由だったとは・・・。

 

 

たぶん、オレの国語力があまりに低いために、デカルトのこの文章が理解できないのだと思う。

 

ところで、上記の記事には次のようなドリルがついている。

 

この文章を解釈してみよう。

 ∠ABHと∠GBIといった角度には比例関係がない

 AHIGには比例関係がある

 この文章は同一物体に対する     が一定であることを述べている

 

この下線部には一体、どのような言葉が入るんだケロ。「屈折角」とか「屈折率」、あるいは、「角度の比」や「傾斜」といった言葉が入る(・・?

 

つまり、AHIGは常に    であり、屈折率と等しくなっている。

 

この下線部には、「一定」という言葉が入るケロか?

 

このAHIGを三角比を使って表すと

 AH     

 IG     

となる。

 

図から判断するに、おそらく、ここには、

  

が入るんでしょう。

そして、ABBIは円の半径なので、AB=BIだから、

  

と屈折の法則(スネルの屈折の法則)が導き出せるという事になるのでしょう。

 

ネムネコは、いかにも理系らしく、数学的な部分はともかく、国語の部分がさっぱりわからない。

ネムネコは、ヒトじゃなく、(化け)ネコだからヒトの言葉を完全に理解できないのはしょうがない!!

 

 

ということで、お前ら、国語の部分をネムネコに教えるにゃ。

ネコにも理解できるように、やさしく、丁寧に、この部分を解説するにゃ。

ネムネコをバカにできるまたとない機会だにゃ。この絶好の機を逃す手はない!!

 

 

さらに、この曲、この動画を追加!!

 

 

デカルトの有名な言葉に「我思う、ゆえに、我あり」というものがある。これは「方法序説」に書かれている言葉らしいですが、方法序説とあるように、方法序説は、ある文章の序言、前書きで、光学や気象学、幾何学に関して書かれている部分の前にあるんだケロ。

そして、今回紹介した文章(和訳)は、「方法序説」のあとに出ている部分なんだにゃ。

ネムネコは、デカルトのこの著作を持っていないから、どんなことが書かれているのかについてはよく知らないのだけれど、結果は正しいけれど、屈折の法則の説明で重大な過ちを犯しているらしいんだケロ。確か、運動量保存則(これはデカルトが見つけたもの)で光の屈折を説明しようとし、大きなポカを犯していたはずなんですよ。このことを調べたかったんだけれど・・・。反射の法則は、運動量保存則、正確には、運動量の大きさが変わらないことから説明することができる。

――オレは出来るってヤツはこれに挑戦せよ。反射前、反射後のx軸、y軸方向の運動量の成分を大きさを比較すればよい――

中学3年の頃に、ブルーバックスの本で、こういったことを読んだ。なにぶん、大昔のことなので、オレの記憶が間違っている可能性もあるが・・・(^^ゞ。

 

そして、このことをネットで調べようとして、たまたま、この文章を見つけた次第であります。お目当ての物は見つけられなかったのですが、このことについて知っているヒトがいたら、あわせて教えて欲しい。

 

 



ところで、デカルトが書いたこの文章は何語なの? フランス語? それとも、ラテン語?


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Tastenkasten

>何が書かれているのかネムネコにはまったく意味不明なので、誰か、ネムネコに、デカルトの光の屈折に関する以下の説明を解説してくれ。

これ、誤訳・悪訳でしょう。日本語の文になっていませんよ。

>ネムネコは、いかにも理系らしく、数学的な部分はともかく、国語の部分がさっぱりわからない。

これは、訳した人の方に当てはまるのでは? 理系の人によく見られるのは、自分自身が理系脳ですでに理解済みのことについては、それについて知識のない他人が読んでもわかるような文を書こうという意思が全く欠けるいうことですね。

>確か、運動量保存則(これはデカルトが見つけたもの)で光の屈折を説明しようとし、大きなポカを犯していたはずなんですよ。このことを調べたかったんだけれど・・・。

運動量保存則が出てくるのかどうかは知りませんが、デカルトの誤りは、密度の高い物質内ほど光速は大きくなる、という理論に基づいていることらしいです。この図の前にもう二つ図があって、球体が固い床の上にある場合と、薄い布を突き破っている場合を示しています(この辺がよく理解できないのですが)。あとの方の図では、光が水に入る場合とは逆に屈折角が大きくなっています。

https://books.google.co.jp/books?id=4f7nBQAAQBAJ&pg=PA287&lpg=PA287&dq=Ren%C3%A9+Descartes,+Dioptrik+Brechung+fehler&source=bl&ots=AxgijPDtyo&sig=XdF1iuPwaPfm2CFHLB6EGypOSNY&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwj_0pvjyZHdAhWIc3AKHW6GDTsQ6AEwCHoECAIQAQ#v=onepage&q=Ren%C3%A9%20Descartes%2C%20Dioptrik%20Brechung%20fehler&f=false

「…見た目に密度の低い媒体から高い媒体への移行には問題があり、球体はこれとは違う状態である。この例は、透明で密度の高い媒体である水の中では光速が大きくなるというデカルト自身の理論と対立してしまう。さらに、密度の高い物質での方が低い物質でよりも光が簡単に通り抜けられるというこの理論は常識に反する(フェルマーとライプニッツはすでに気が付いていた)だけでなく、光が無限大の速度を保つために一瞬で広がるというデカルトの理論とも相容れない。」

>ところで、デカルトが書いたこの文章は何語なの? フランス語? それとも、ラテン語?

フランス語ですよ。

Enfin, d’autant que l’action de la lumière suit en ceci les mêmes lois que le mouvement de cette balle, il faut dire que, lorsque ses rayons passent obliquement d’un corps transparent dans un autre, qui les reçoit plus ou moins facilement que le premier, ils s’y détournent en telle sorte qu’ils se trouvent toujours moins incliné sur la superficie de ces corps du côté où est celui qui les reçoit le plus aisément que du côté où est l’autre ; et c’est justement à proportion de ce qu’il les reçoit plus aisément que ne fait l’autre.

下の箇所は誤訳ですね。

>光線はその物体の表面で常により少なく傾斜するように向きを変えるといわねばならない。

>その物体が光線を受け入れる方法が、他の物体に比べてより容易であるかどうかにちょうど比例して起こる。

「表面で傾斜する」のではなく、「表面に向かって」だと思います。ここで「表面で」としているのは、二つの異なる物質それぞれの「側で」の間違いというか、それと「表面に向かって」をひとくくりにして省略しすぎて意味が違ってしまっています。傾斜するのは、AやIなどの球体表面ではなく、Bという境界でですよね? そして、「光線を受け入れる方法」なんてどこにも書いてありません。
これでも読みにくいとは思いますが、なるべく原文通りに訳すと:

光の作用が、この球体の動きと同様の法則に従う限り、次のように言わねばならない。つまり光線が、ある透明な物体から、それとは別の、光線を多少でもより容易に取り込む物体に進入する場合、光線はそこで方向を変え、光線を容易に取り込む物体の側では、別の物体の側と比べて、物体表面への光線の傾きがより少なくなる。そしてこれは、まさに物体が別の物体よりどれだけよく光を取り込むかという比率に則している。

とでもなりますかね。

仏語版
https://fr.wikisource.org/wiki/La_Dioptrique
独語版
Insofern schließlich die Wirkung des Lichtes denselben Gesetzen gehorcht wie die Bewegung dieser Kugel, muß man sagen, daß, wenn seine Strahlen von einem durchsichtigen Körper schief auf einen andern fallen, der sie nicht oder weniger leicht als der erste aufnimmt, sie ihre Richtung dort so ändern, daß sie zur Oberfläche dieser Körper immer auf der Seite dessen, der sie besser aufnimmt, weniger geneigt sind als auf der des andern; und das genau in dem Verhältnis, in welchem er sie besser aufnimmt, als es der andere tut.
https://www.friedrich-verlag.de/shop/downloads/dl/file/id/33883/product/3281/unterrichtsmaterialien_barth_geschichte_pdf.pdf
英語版
Finally, inasmuch as the action of light follows in this respect the same laws as the movement of this ball, it must be said that, when its rays pass obliquely from one transparent body into another, which receives them more or less easily than the first, they are deflected in such a way that they always find themselves less inclined to the surface of these bodies on the side which receives them more easily; and this is in the same proportion as they are more easily received on one side than on the other side.
http://www.academia.edu/6530699/DESCARTES_-_Dioptrics-On_Light

デカルトの考える屈折角は、垂線との間での角度ではなく、進入する光の線A-Bをそのまままっすぐに延長した直線との間の角度だそうです。

ドリルの解答は、私がコメントするようなことではないので書きません。ねむりねこさんが間違えるはずはないので。下のを見ました。
https://books.google.co.jp/books?id=KcEhxiHu4MEC&pg=PT59&lpg=PT59&dq=%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%80%80%E5%85%89%E3%81%AE%E5%B1%88%E6%8A%98&source=bl&ots=sf1PPc641u&sig=bOeSX67IXdyPyDZBxNWuncCyS7c&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjB1cTMlpHdAhWmCTQIHapUDLcQ6AEwCXoECAQQAQ#v=onepage&q=%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%80%80%E5%85%89%E3%81%AE%E5%B1%88%E6%8A%98&f=false

こんなものを読んでいてふと思ったのですが、デカルトの2番目の例はいったいどういうものなのか不思議に思いました。空気よりも光が速く通り、屈折角の方が大きくなることがあるのか? ちょっと調べたら、真空の場合を「1」とするのだそうですが、真空より早く光を通す物質が開発されたという記事に行き当たりました。「天狗の隠れ蓑」が作れるということでしょうか?
http://www.riken.jp/pr/press/2014/20141024_1/digest/

by Tastenkasten (2018-08-29 19:01) 

nemurineko

コメントありがとうございます。

☆ちょっと調べたら、真空の場合を「1」とするのだそうですが、真空より早く光を通す物質が開発されたという記事に行き当たりました。「天狗の隠れ蓑」が作れるということでしょうか?
◇波の速度には、群速度と位相速度の2つがあるんですよ。
真空中では、光の群速度と位相速度は約30万km/秒で同じですが、真空中いがいでは群速度と位相速度が一致しないことがある。
そして、光の群速度が真空中の光速約30万km/秒を越える場合があることは昔から知られていましたし、実験的にも確かめられていた。

ところで、
アインシュタインの特殊相対性理論は、真空中の光の速度よりも速い信号の伝達手段はない、ということを、その理論の前提にしています。
そして、光の(群)速度が30万km/秒を越えるというのは、特殊相対性理論に矛盾するのではないか。

群速度の速さで情報を伝えることができないということで、特殊相対性理論と矛盾しないそうです。

実際の波というのはいろんな周波数をもった波の集まりでしょう。楽器の奏でる音は、基準音とその倍音成分が合わさったもので、純音のサインカーブとは異なり、複雑な波形をしています。そして、この波形の違いが音色の違いになる。
このいろんな周波数をもった波全体を1つの波と考えて、この波の速度(群速度)を求めると、一般に音速とは異なるんですよ。群れ、集団(の動き)と個人(の動き)は違いますから(^^ゞ

「真空より早く光を通す」というのは、たぶん、この群速度のことを言っているんだと思います。
そして、この文章は、素人を騙し、研究費を巻き上げるための文章なんだと思いますよ、たぶん・・・。

このあたりの話は、ddt³さんが、きっと、解説してくださるのではないでしょうか(^^)

☆これ、誤訳・悪訳でしょう。日本語の文になっていませんよ。
◇なるほど、なるほど、訳の問題ですか。


☆理系の人によく見られるのは、自分自身が理系脳ですでに理解済みのことについては、それについて知識のない他人が読んでもわかるような文を書こうという意思が全く欠けるいうことですね。
◇知識のないヒトが読んでもわかるような文章を書く訓練を受けていませんから。
そして、理系の人の一般的傾向として、作文能力が非常に低い(笑)。
「小学生が書いた文章ですか」という程度の文章しか書けない理系の大学生は、掃いて捨てるほどいますから(笑)。


☆デカルトの誤りは、密度の高い物質内ほど光速は大きくなる、という理論に基づいていることらしいです。
◇はい、そのとおりです。
デカルトは、真空中よりも水中における光の速さは大きい、という結論を導いているんですよ。
デカルトの時代には、光の速度を正確に測る方法がありませんでしたから・・・。
人類が初めて光の速度を計測したのは、デカルトの死から26年後の1676年のこと。レーマーによって初めて測定された光の速度の値は約21万km/秒で、水中における光の速度は22万km/秒ですから、レーマーの測定値ならばデカルトの結論は正しい(笑)。

なお、デカルトの考えは間違っていると考えたフェルマー、明日のねこ騙し数学に、「フェルマーの原理」で登場しますよ。


by nemurineko (2018-08-29 20:54) 

nemurineko

上のコメントでは、
光の群速度が真空中の光速を越すことがある、
と書きましたが、これは私の間違い、大嘘です。

念の為に、物理の本を引っ張りだし、確認したところ、
光の位相速度が光速を超えることがある
が正しいようです。

位相速度は単に波の位相状態が移動する速さであって、エネルギーや情報は群速度で伝わるので(特殊)相対性理論に矛盾しない、
が正しいようです(^^ゞ

物理に関しては素人同然なので、こうしたミスを犯すこともあるということでお赦しくださいm(__)m
by nemurineko (2018-08-29 21:14) 

Tastenkasten

>そして、この文章は、素人を騙し、研究費を巻き上げるための文章なんだと思いますよ、たぶん・・・。

そうなんですか?! ではこのメタマテリアルは何の役にも立たない?

>物理に関しては素人同然なので、こうしたミスを犯すこともあるということでお赦しください

理系知識ゼロの私が気付くはずもないのですが、音速のことが書かれていたので、あとの方のコメントを拝見して、群速度の方が早くなるというのはおかしいなとは直感的に思いました(理解して、ではなく、何となく直感しただけです)。

>レーマーによって初めて測定された光の速度の値は約21万km/秒で、水中における光の速度は22万km/秒ですから、レーマーの測定値ならばデカルトの結論は正しい(笑)。

ええと、つまりレーマーも間違っているということですか? 当時の観測技術ではまだ相当の誤差があったようではありますが。
http://fnorio.com/0128Romer_1676/Romer_1676.html

>デカルトの考えは間違っていると考えたフェルマー

デカルトは、フェルマーに反論しようといろいろやっていたようですね。フェルマーの反論によって自分の理論が危うくなることはないと信じていたようです。定量(detérmination)と速度(vitesse)の定義が違うとか何とか言っているようです。
https://books.google.co.jp/books?id=EbH_uGlNmywC&pg=PA82&lpg=PA82&dq=Descartes+Fehler+Lichtbrechung&source=bl&ots=Q7Wd7fL-Uo&sig=DzFLxzut1hc9CoHJMxLF2_MwNfk&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjdvYL7v5HdAhXCdd4KHd7QDIUQ6AEwAHoECAAQAQ#v=onepage&q=Descartes%20Fehler%20Lichtbrechung&f=false

>そして、理系の人の一般的傾向として、作文能力が非常に低い(笑)。

最近のQ&Aは、まともな質問がほぼゼロの状態で、回答することも滅多にありませんが、OKWaveでは6月に理科系のドイツ語文の質問の連投がかなりたくさんあり、少し前には教えてgooでも少しありました。理系知識ゼロの私でもちょっと考えればわかることが多いのですが、理解してもらうために簡単な図を書いたこともあります。ごく初歩的なことですが、「空気伝搬音が建築物に当たった場合」。
https://okwave.jp/qa/q9508395.html

毛細管現象の質問もありました。
https://okwave.jp/qa/q9509684.html

こちらにちょっと書いたような記憶もあるのですが、教えてgoo!では車のタイヤの屈曲による高温化の文が出ました。私より前からgooにいて、私が回答するようになってからはドイツ語カテにはめったに回答しなくなったd********という回答者がいます。過去の投稿内容から見て、理工系の人物(たぶん私より年輩)だと思うのですが、この人の書く日本語が滅茶苦茶で、意味がさっぱり分からないことがあります。そもそも私がgooをやるようになったきっかけの一つが、この回答者の意味不明な回答だったのですが、タイヤの屈曲に関しても、ドイツ語のウィキペの文を支離滅裂に訳したのです。しかも私がすでに回答した後だったので頭にきまして、その部分の正しい訳を再投稿しました。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10639946.html

問題の箇所はここです(回答No.3)。

>タイヤ、・・・、はトレッド面領域が負荷を受け作動する時にその断面が変形する。 転動過程の更なる進行で断面は再び正常に戻る。

そもそもこういう説明をするときに、「断面が変形する」などと言いますか? 「作動」とは何が作動するのでしょうか? 「転動過程の更なる進行」って、意味わかります?
「断面」と訳された語はQuerschnittで、独和辞典を軽々しく引くと「断面」で済ましてしまいますが、ここでは「面積」の意味で使っているんですよ。ただ、「面積」という日本語も、この文脈では訳語として使えないんです。私の添削は回答No.4にありますが、「タイヤは、荷重がかかった状態で動く際、接地面の領域で平面状に変形する。 引き続き起こる回転移動の経過の間に、平面は再び通常の形に戻る。」としてあります。
この回答者は、質問の本題の独文も誤訳しています。実は私も、専門外のことなので、回答No.1での訳が適切でなかったことにあとで気が付き、回答No.4で訳し直していますが、理工系の人ならこのように読んでもらわなくては困ると思いました。スイスにいた人のようなので、たぶん車か何かの技術関係の仕事で滞在したのではないかとも思いますが。日本語力が欠けているだけでなく、思考に論理性が欠けているのでは、理系人として通用しないのではありませんか。
by Tastenkasten (2018-08-29 22:54) 

nemurineko

理系の学部に進む多くのヒトは、中学、高校時代に、理科や物理が得意、正確に言うと、理科と物理のテストでいい点数をとることができたヒトです。
ですから、論理的な思考が得意ってわけじゃ〜ありませんよ。

論理的な思考が苦手なのは、
論理的な数学を大学でやられると、
高校時代まで数学が得意だった多くの学生が次々と落ちこぼれ、数学が大嫌いになることから明らかですよ。
何しろ、「数学の問題の解き方を憶える=数学(の勉強)」なヒトたちですから。
歴史の年号暗記と同様に、あらゆる問題に対応できるように、問題の解き方、解法をできるだけ多く丸暗記する。そして、塾などで教えられたように、問題を解く。この反復練習。すると、パブロフの犬のように、問題を見ただけで、条件反射的に問題を解くことができるようになるのです。
これが、いわゆる、数学のできる中学生、高校生の正体(笑)。
自分のアタマで考えているわけじゃない。

論理的な思考力の欠如と作文能力が低さがあいまって、多くの理系大学生は、社会に出ても、幼稚園児や小学低学年程度の支離滅裂な文章しか書けないんです。

☆ええと、つまりレーマーも間違っているということですか?
◇いえいえ、間違っているわけじゃありません。
今日的に見れば、レーマーの光速の測定結果は約21万km/秒ですから約30%程の誤差を有していますけれど、この当時の技術で70%の精度を持っていますので、これは大変に優秀な測定結果だったと思います。オーダーがあっているだけで、大したものですよ。
光の速さが有限であること、そして、光の速さがべら棒に大きくて、それゆえに、光の速さは無限に思われた、ということを実験的に突き止めた、実証した、このことが画期的な出来事。
あとのヒトたちは、どれだけこの値を正確に測定する方法を見つけ出し、精度よく測定することに専念すればよいだけですから。
水中における光の速さが測定できるようになったのは、デカルトの死後、約200年後のことです。
http://fnorio.com/0132Fizeau_1851/Fizeau_1851.html
意外に最近のことなんですよ。
それほど、光速を測定することは難しかった。
by nemurineko (2018-08-30 00:25) 

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