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佐渡の方言の正解 [ひとこと言わねば]

問題 次の佐渡の方言が指し示す動物名を答えよ。
(1) あおろち
(2) ひとくらい
(3) とんちぼ
【正解】
(1) アオダイショウ
(2) マムシ
(3) タヌキ、ムジナ


ネムネコは言語や方言の専門家、研究者じゃないのでひょっとしたら間違っているかもしれないけれど、
(1)の「あおろち」は漢字で書くと「青大蛇」になるに違いないにゃ。青大蛇は「あおだいじゃ」と読むんじゃなくて、「あお・おろち」と読むケロ。
てなわけで、
 あおおろち→あおろち→あおろし
と転訛したと推測されるにゃ。
現代仮名遣いで書くと、「あお・おろち」と同音の母音が2つ続いているけれど、これは歴史的仮名遣いで書くと「あを・おろち」で、上代において「を」と「お」は違う音だった。ローマ字で書くと、「を」は「wo」で子音の「w」が入るからね。
日本語の単語って、基本的に、「母音」+「母音」という音節を持たないんだケロ。これ、日本語(の単語)の特徴なんだけれど、この件については、ブラゲロ・マムシが詳しく解説してくれると思う。
 ――調べたら、「おろち」の歴史的仮名遣いは「をろち」だね(^^ゞ。 オレだって、間違うこともあるにゃ――
さてさて、「ち」が「し」に転訛することがあるのかという問題だけれど、上代の日本語の「さ」行は、「さ・し・す・せ、そ」ではなく、「ちゃ・ち(ぃ)・ちゅ・ちぇ・ちょ」とだったという説があるんだケロ。つまり、「さ」行の子音は[s」ではなく、「」であったという説。だから、「ち」は容易に「し」に転訛できるんだケロ。


画像元:YouTubeの下の動画


(2)は、マムシは、「ヒトにくらいつく」ヘビだから、「ひとくらい」というにゃ。

(3)の「とんちぼ」は、漢字で書くと、「頓智坊」で、頓智のお坊さんが原義だね。
なぜ、タヌキ・ムジナが「頓智坊」になったかといえば、そりゃ〜、佐渡には、日本で唯一禅問答ができる禅達(善達)というタヌキがいたからだにゃ。

 禅達貉の伝説
 https://goo.gl/6Ju7mz
東方の「二ッ岩マミゾウ」のモデルである、佐渡の伝説のタヌキ「二ッ岩団三郎」に全国的な知名度は劣るものの、禅達タヌキは佐渡の「団三郎」とともに佐渡のタヌキの頂点に立つタヌキだにゃ。


佐渡に住むタヌキは、本土の無芸のタヌキとは違うってことだにゃ。


ちなみに、佐渡の言葉、佐渡の方言は、京都・奈良などの西日本語族に属していて、東日本語族の越後の言葉とは異なる語族に属しているんだケロよ。

 佐渡弁
 https://goo.gl/1nNMoy


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bragelone

おはようございます。

◇ ちなみに、佐渡の言葉、佐渡の方言は、京都・奈良などの西日本語族に属していて、東日本語族の越後の言葉とは異なる語族に属しているんだケロよ。
☆ へえー。都と行き来があると言っても 越後の町々とも往来しているであろうと思うと 不思議ですね。

まさか 島流しに遭った都びとの言葉使いが普及したのではないですよね?



佐渡ことばで 次のようなのは 桑名――伊勢地方北部――でも聞かれました。

・けなりぃ → 異(け)なりい、うらやましい
  ☆ 母親(四日市出身)が けなるい とよく使っていました。
   父親(桑名出身)からは聞いていないと思う。

・こーこー → たくわん
・よぼる → 呼ぶ(よぼってこい = 呼んできなさい)
・ぬくとめる → 加熱する(料理とかで)

  ☆ これらも 親世代の人たちは よく使っていた。
    小学校で同世代とは 使わなくなっていた。
    ぬくとめる は普通に あたためる と言っていた。

・だちかん → らちがあかない、ダメ。
  ☆ これは 名古屋に来て 尾張・美濃の言葉だと聞か
    されていたのですが。


○ 音韻組織――発音の傾向など――については よかったら 追って書き込みます。
(母音の連続を嫌った。これは ただそういうクセなのですが。いまでは あいおい(相生)や おおおかやま(大岡山)などがあります)。


○ 大蛇=をろち: を(尾根)‐ろ(属格のノ)‐ち(霊)(大野晋)
☆ らしいです。
霊性は たま・たましひ のほかに ち・ひ・み があるようです。
by bragelone (2019-03-14 10:35) 

nemurineko

コメント、ありがとうございます。

「なぜ、佐渡弁が西日本語族なのか」についてはわかりません。
佐渡弁は地理的背景から北陸方言の一つとされているようですが、アクセントなどは、むしろ、機内の言葉に近くて、京阪式アクセントに分類されるらしいんですよ。
だから、佐渡弁は特異なんです。

江戸時代、佐渡は北前船の寄港地として大いに栄えましたから、この時、上方方言の影響を強く受けて、京阪式アクセントをもった佐渡弁が成立したのかもしれませんね。

それはそれとして、伊勢や名古屋・美濃と同じ方言が佐渡に残っているという知りませんでした。
ただ、これは古語が方言として共に残っているのではないでしょうか。

ウミウシっているじゃないですか。佐渡弁では、ウミウシ、アメフラシを「べこ」というですよ。島根県もアメフラシを「べこ」というらしくて、これはたぶん島根の方言が佐渡に定着して、佐渡弁になったに違いない。佐渡人は、牛を「べこ」と言いませんから、東北弁の「べこ」とは無関係に違いない。
江戸時代、佐渡金山が大々的に開発さ、鉱山労働者が増加し、これにともなって佐渡の人口が急激に増えます。この労働者のタンパク源を確保するために、江戸幕府が、当時最先端の漁法を持っていた石見(現在の島根県)の漁師さんたちを移住させたらしいんですよ。
この子孫のヒトたちは「石見」姓を名乗っています。
この他に、佐渡では、岩海苔を「へぎ」と言ったりしますが、島根県でも「へぎ」という。
おそらく、佐渡(弁)と石見(弁)を結びつけたのは、江戸幕府の重臣・大久保長安ってことになるんでしょうね。
 大久保長安
 https://goo.gl/JfqvHi
石見の漁師さんたちを佐渡に移住させたのは、大久保長安という話ですから。
佐渡では飛魚の出汁を「あご出汁」といいますが、これは何と九州の長崎県と同じ。いくら何でも長崎県の漁師さんたちが佐渡までやってきたとは考えられないので、長崎奉行所に務めたのち、佐渡奉行所に配属された江戸幕府のお役人さんたちが佐渡に伝えたのかもしれませんね。

時代時代によって色々な文化がもたらされ、それがよく保存されているので、佐渡の言葉の系統を辿るのは難しいと思いますよ。
上方の浄瑠璃の祖先である古浄瑠璃や能も佐渡の郷土芸能で、これらを通じて佐渡弁になったものもあるでしょうしね〜。

氷河期が終わる、今から2万年から1万7千年くらい前には佐渡にヒトが住んでいた形跡があるらしく、佐渡は歴史もトンデモなく古いですしね。
佐渡に最初にたどり着いたプレ佐渡人は、氷河期の海面水位の低下によって海底が陸地になったところを大陸から渡ってきたのかもしれず、今日の日本語になる日本祖語とはまったく異なる言葉を話していたかもしれませんね。

○ 音韻組織――発音の傾向など――については よかったら 追って書き込みます。
◇ よろしくお願いします。

by nemurineko (2019-03-14 17:04) 

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