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変分法はジェットコースターから生まれた(^^) [ひとこと言わねば]

今日、ddt³さんが紹介してくださった(数学の)変分法は、ジェットコースターと深い関係がある。


最適降下曲線
最速降下曲線(さいそくこうかきょくせん 英: Brachistochrone curve)は、任意の2点間を結ぶ全ての曲線のうちで、曲線上に軌道を束縛された物体に対して重力 (に代表される保存力) のみが作用する仮定の下、物体が速度0でポテンシャルが高い方の点を出発してからもう一方の点に達するまでの所要時間がもっとも短いような曲線である。

ガリレオは1638年に著書"Two New Sciences"で、最速降下曲線は円弧であるとしたが誤りであった。ヨハン・ベルヌーイは(以前に解析した等時曲線を参照して)この問題を解いた後、1696年6月に著書"Acta Eruditorum"で読者に対して問題を提示した。4人の数学者がこれに応じて解答した。アイザック・ニュートン、ヤコブ・ベルヌーイ(ヨハンの兄)、ゴットフリート・ライプニッツ、ギヨーム・ド・ロピタルである。ロピタルを除く3人の解答は1697年の同じ版で出版された。

弟に対抗してヤコブ・ベルヌーイはより難しい最速降下曲線問題を作った。それを解いている間に新しい手法を開発し、それがレオンハルト・オイラーによって改良され後に変分法と呼ばれるものになった。ジョゼフ=ルイ・ラグランジュは現代の微積分学に帰着するさらなる仕事を進めた。
https://goo.gl/EvK5CV


「へぇっ、へぇっ、へぇっ、オレはこの問題を解けてしまったぜ。オレってやっぱり天才だよな。ところで、お前ら、この問題を解けるか?」
と、この解答を募集したんだケロ。


ヨハン・ベルヌーイさんは、「自分以外、この問題は誰にも解けない」と思っていたらしいんだけれど、解答が送られてきて、強いショックを受けたそうだ。
――誰にも解けないと考えたから解答を募集したのに・・・。日本でロピタルの定理と呼ばれるものの発見者はヨハン・ベルヌーイで、その手柄を弟子のロピタルに奪われた(?)ので、ロピタルの死後、ヨハンは「実はこれを発見したのはオレだケロ」と大騒ぎしている(ロピタルの定理論争)ほどだからね〜。弟子だけでなく、流体力学のベルヌーイの定理の発見者は誰かということで、息子のダニエルと大喧嘩をし、絶縁状態に至る(>_<)――
ニュートンにいたっては、嫌がらせのために、自分の正体がばれないように、わざわざ偽名を使って解答を送ったらしいね。ニュートンから送られてきた解答を見て、ヨハンは
「イギリスでこの問題を解ける――こんな嫌がらせをする――のは、あの変態しかいない」
と、即座にその正体を見破ったそうだ。この二人は性格が似ているかもしれない(^^ゞ
嘘か本当かはわからないけれど、ヨハンが長い時間をかけて解いたこの問題を、ニュートンは問題を見てわずか半日で解いたといわれる。
ニュートンからの痛烈な猫パンチで、ヨハン、ダブルショック!!


ウィキペディアの最速降下曲線の記事には、フェルマーの(最小時間の)原理を用いた最速降下曲線がサイクロイドであることの証明が出ている。ここに登場するフェルマーは、フェルマーの定理で有名なフェルマーさんなんだけれど、ウィキペディアに出ている証明は物理の屈折の法則を使ったものだと思うといいにゃ。てなわけで、光学(波)と力学(粒子の運動)の間にはアナロジー関係――粒子が力を受けて速さと軌道を変えることは、(波の)屈折とみなすことができる――があるんだケロ。

そして、波と粒子の性質を同時に持つと言ったら、量子(力学)だよね〜。


量子力学の誕生において、実は、これ(変分)は再び重要な役割を果たすのであった。

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