ネムネコ、量子力学する [ねこ騙し物理]
ネムネコ、量子力学する
何でも、量子力学には、
といった深い井戸のポテンシャルモデル(箱型ポテンシャル)とかいわれるものがあるそうだ。ここで、Vはポテンシャル。
これが何を意味するのか、物理屋さんではないネムネコにはわからないけれど、解いてみようじゃないか。
シュレディンガーの波動方程式を立てて解くのが本筋なのだろうが、そんな面倒なことはしたくない。
伝え聞くところによると、電子などの量子は波のようなものらしいので、波動関数(?)をφとおくと、きっと波動関数(?)φは次のような形になるはずだにゃ。
x=0、x=Lのとき、ポテンシャルが無限大なので、たぶん、x=0、x=Lのとき、
という条件になるに違いない。
(ポテンシャルが無限大なので、トンネル効果で、電子はこのポテンシャルの壁からしみだせない!!)
すると、
A=0じゃないとすると、
したがって、
伝え聞くところによると、波動関数φの2乗は確率(密度)になるらしいので、
という条件が課せられるはず。
これを計算すると、
よって、
が、この深い井戸ポテンシャル(箱型ポテンシャル)に閉じ込められた電子1個の波動関数になる。
なお、と波動関数に下付きのnをつけたのは、n=1,2,3・・・といった自然数に対応させたから。
さて、上の図を見ると、波動関数の波長(?)λの半分λ/2の整数倍がLになっていることがわかる(定常波)。
つまり、
ってわけだ。
ここで、ド・ブロイ波の関係式
を引っ張りだすにゃ。ここで、hはプランク定数。
これから、電子の運動量pは
となる。
ここで、mは電子の質量、vは電子の速さだ。
したがって、電子の速さは
となるので、電子のもつ運動エネルギーは
になる。
なんでも、量子(電子)の振動数をνとすると、
になるらしいから、
これが振動数ってことになるケロか。
問題1
と
を用いて、次の微分方程式(時間を含まないシュレディンガーの波動方程式)を導け。
また、この微分方程式を境界条件φ(0)=φ(L)=0で解くことにより、①と②を求めよ。
この結果は、シュレディンガーの波動方程式を解いて求めた結果と一致するんだにゃ。すごいケロ!!
ところで、波動関数を重ねあわせた、
も波動関数になるはずだケロ。
例えば、バイオリンなどの弦の振動は、基準音の倍音成分を含む振動が合わさったものだにゃ。バイオリンの音は、ある特定の周波数だけの純音じゃ〜ない。
波動関数は、おそらく、このような絶えなる調べを奏でているに違いない。
とすると、この混ざり合った波、波動関数(?)は
という条件を満たさないといけないはずである。
この計算は大変そうですが、これを計算すると、
になるにゃ。
だから、こうなるんだケロ。
このいろんな倍音成分(?)を含んだ⑨³で与えられるφなる波動関数、つまり、0から無限大までの運動エネルギーや運動量をすべて持ち合わせた一つの電子が観測されるなんてことはない。
観測されるのは、⑨式で与えられるある一つのエネルギーをもった電子だけだケロ。
これは、観測すると、⑨³であった波動関数が、(1)式で与えられる一つの波動関数のみになってしまうということを意味するケロか。
言っておくけれど、観測するまで、
のどれが出るかなんてわからないケロ、予測はできないんだケロよ。
n=1,2,3,・・・のどのも候補になりえるんだから。
つくづく不思議な学問だね〜、量子力学って。
シュレ猫は、箱に入れられた瞬間に、その像がぼやけてしまうというし、ネムネコには量子力学の話はついていけないにゃ。
ちなみに〇9^3の波動関数φjの係数の2乗cj^2は、φが表す物理量を観測する観測で、φjに対応する物理系の状態でのφの観測値が得られる確率を表すそうですね(^^;)。
>・・・観測すると、⑨³であった波動関数が、(1)式で与えられる一つの波動関数のみになってしまうということを意味するケロか。
意味するんです。それが波動関数の収縮。何で?と言われると困りますが、観測事実です(^^;)。
「観測事実だから・・・」は何か胡散臭いという事で、隠れたパラメータ理論とか色々理由は考えられましたが、けっきょくフォン・ノイマンが、量子力学の数学的構造を公理化し、波動関数の収縮は物理的機構抜きの数学的公理にしかならない事を明確化します。
フォン・ノイマンは数学者だったので「物理屋さん、あなた達はこういう事をやってるんですよ」と言っただけでした。慌てたのはむしろ、ファインマンなどの本職の物理屋さんの方です(^^)。
ファインマンは徳川機関長のように「量子力学は、わしにもよぉ~わからん!」と言いながら、波動関数φが可能な全ての古典的値を取るなら、その確率を重みとして平均を取ればいいよねぇ~、そうすれば量子力学は少なくとも古典論と矛盾しないとはいえるよねぇ~とつぶやきながら経路積分法を開発し、実際に確率重み付き平均を古典論に一致させるという離れ業を演じます。
当時の量子力学者(?)達の発想はこうでした。ミクロの世界では確かに不確定性関係が成り立ち、物事は確率的になるが、その結果はマクロな観測装置を通してしか知る事ができない。マクロな観測装置では、不確定性関係がほとんど無効になる。ミクロの現象がマクロな観測装置に出会った時こそが、波動関数の収縮なのだと。
しかしシュレーディンガーは、そんな欺瞞を許しませんでした。ミクロであろうとマクロであろうと同じ量子力学で記述できなければならない限り、ミクロとマクロの境界線などないのだと。それを象徴的に示したのが、シュレーディンガーの猫です。
それに納得したボーア(だったかな?)は悩みます。ボーアは、波動関数の確率解釈で有名なコペンハーゲン学派の創始者にして中心人物です。
ボーアは思考をどんどん遡及させます。シュレーディンガーの猫の箱の蓋を開けた時、観測により本当に猫の状態は決定されるのだろうか?、と・・・。
猫の箱の蓋を開けた時、猫が死んでるか生きてるかを判定するためには、猫から反射された光を見なければならない。それは光子が網膜に衝突し相互作用する過程で、量子的なものだ。光子が網膜に衝突し視神経に電流が走るというのも量子的過程だ。さらに視神経の電流信号が、全くもってよくわっかっていない脳細胞の神経ネットワークに伝達され、猫が死んだ/生きていると判断する過程も、徹頭徹尾量子的な過程であろう。
いったいミクロな現象は、マクロ実験装置とどこで、どのタイミングで出会ったのか?。
ボーアは最終的に「それは人間の意識の中で決定される」と言い出します。そう言ってのけた勇気というか、本当にこの当時は、それ以外の解釈は、ほとんど考え付けなかったんですって。ボーアには尊敬に値する正直さがあります。
しかしこの一言のために、量子力学はその後、いいように哲学的・宗教的・スピリチュアル的に拡張解釈され、しかも拡張解釈には現代物理による理論的背景があると喧伝され、現在にいたります。典型的な例は、
・あなたの思いが世界を変える(決定する)。
です。
始末に悪いのは上記は、個人的体験として絶対に間違いではあり得ない事です。そうなんです。人はそうやって生きて行くんですって!。たとえそれが、
・そりゃそうなのだ。心がけ次第で、人生は変わる.
・物理的現実は変わらなくても、そう錯覚できる.
であろうとも(^^;)。
ではシュレーディンガーの猫問題は、物理学の現状ではどうなっているのか?。ボーアより、もっと現実的な方向へ進もうとしています。
つまり猫の箱の蓋を開ける以前の段階、β崩壊を検知器が捉えた瞬間に猫の生死は決まるという、全く当たり前の方向へ進もうとしていると思えます。デ・コヒーレント理論です。
デ・コヒーレント理論の発想は、余りにも当たり前。ただ数学的定式化が難しい。ただそれだけだと思うんですよね(^^;)。
by ddtddtddt (2018-11-26 19:27)