工学野郎の思う微分_2


 


 


 起動しなくなった旧PCより外付け装置に移植したHDですが、「フォーマットされていません」が出やがったので、データ復旧店に持ち込みました。全てではなかったけれど、概ねデータは救出できました。


 


 ・・・という訳で、ほぼ復旧記念です(^^)


 


2.概念としての微分


 


 工学野郎の思う微分_11.で、「概念上の話としては、微分可能な関数の一点には、理想化すればその接線が住んでると認めるのと同じです」と書きました。では、微分可能な関数の一点にその接線が住んでるというような、証拠はあるんでしょうか?。あるんですよ、それが。もちろん状況証拠ですけどね(^^;)。以後の喋りは、たぶんにイメージ優先という事になります。


 


 関数の一点に接線がいる事を見るには、いったいどうしたら良いでしょう?。単純に考えれば、一点の内部を覗けば良いわけです。だけど点は大きさを持ちません(無限に小さい)。大きさを持たなければ内部構造もないはずだから、そもそも一点の内部なんてのは概念矛盾だと、プロゲラさんに怒られそうですが、でも[大きさを持たない]=[無限に小さい]が正しいなら(← 正しいという保証はない(^^;))、無限に拡大すりゃぁ~内部を覗けれんじゃねっ?、って発想になります。


 そうすると拡大対象は関数なので、関数の拡大と縮小をまず復習しておきましょう。関数、


  


があった時、kを任意の実数として関数、


  


は、原点を中心に(1)1/k倍に拡大した関数でした。どうしてかというと、


  


という変換を考えてみると、(3)(2)に代入し、


  


が得られて、(4)(1)と同じ曲線を描きます。しかし(XY)の中身は(kx'ky')なので、(4)(1)と同じ曲線を描くためには、(xy)(kx'ky')でなければならない事になり、(x'y')の数値は、


  


(xy)1/k倍になるためです。


 高校では(x'y')(xy)をごっちゃにして扱う傾向があるために、高校生は(2)を見て非常に悩むんですよね(^^;)


 変換、


  


は等方的でもあります。それを確認するには、円で試せば十分です。円の方程式、


  


に変換(6)を施せば、


  


なので、(6)が原点から(xy)までの距離を等方的に1/k倍にしてるのは明らかですし、原点は移動しないので、原点を中心とした拡大/縮小である事もわかります。等方性は、今の場合の関数の一点の拡大に望まれる性質です。


 不便なのは原点中心でしか拡大/縮小できない事ですが、それなら拡大したい関数の一点を原点に移動させればOKです。このとき関数のグラフの形を変えてはいけないので、平行移動という話になります。


  


が、(1)x方向にay方向にbだけ平行移動した関数を表すのでした。ここでも変換、


  


を考えれば、(xy)→(xayb)である事は明らかです。


 


 以後、高校方式で、(xy)(x'y')を明確に区別するのはやめます。


 やりたい事は、関数の一点(x0f(x0))が原点に来るように関数を平行移動し、そこで1/h倍(0h1)に拡大する事です。


 最初に、(x0f(x0))が原点に来るように関数を平行移動します。これは(ab)(x0,-f(x0))の平行移動です。


  


 次に(9)を原点中心で1/h倍に拡大します。


  


 無限に拡大するには、h→0の極限をとれば良いわけですが、そのために(10)を少々変形します。


 h≠0とすると、


  


 (11)の最後の形でh→0の極限をとります。


  


 最後の結果を出すために、(普通の(^^))微分の定義を使ってます。すなわち、


  


です。(12)は、(x0f(x0))が原点に来るように平行移動した結果です。もとの位置に戻しましょう。それには、(ab)(x0f(x0))なる平行移動をすれば良いので、


  


です。・・・うふふ、(x0f(x0))における接線の方程式じゃ~ないですかぁ~(^^)。接線はいたんですよ。


 ここで、微分を使わずに接線を定義するにはどうするかという(不要に?)頭の痛い問題が生じますが、それは無視します(^^;)


 


 次に、不要ではない哲学的批判に対処します。恐らく、ネムネコファミリーの中でこの批判を出すとしたら、プロゲラさんです(^^)。批判とは、


 


「点とは大きさを持たないこと。それが点の数学的定義だ」


「したがって、点は内部構造を持たない」


「よって内部構造を持たない点内部に、接線は存在できない」


(12)で行った極限計算はその経過から明らかなように、点外部の拡大を行ったに過ぎず、点内部を覗いたとは、まったく言えない」


「これは点の数学的定義から最初から明らかで、点内部にその接線がいるという考えは、概念としてまさしく概念矛盾を起こしている。(12)(14)は、概念的に無意味な数学的トリックに過ぎない」


 


 はっきり言って論理的に完璧な批判です。反論は恐らく無理です(^^;)。ただ数学は、(12)(14)を無意味な数学的トリックとは考えません。概念矛盾であると知りつつ、というか知ってるからこそ(本当によぉ~く考えた人たちは)、次のように身をかわします。


 


「現実の分析に便利なように、VR(バーチャルリィアリティー)なツールを作っただけなんですよね」


 


・・・と(^^;)


 (14)(12)の洗礼の後に出てきたものなので、(14)(xx0)はいくら大きくとも無限倍拡大の縮尺で考えると、実スケールでは0です。だからそれは、VRな点内部の距離と考えてもいいじゃないかと(大きさを持たないことが点の数学的定義)。つまり微分可能な曲線は、各点ごとの接線の集合だと考えられる。


 曲線の各点ごとの接線を近似するものはなんでしょう?。十分細かい区間分割で考えられた、曲線の折れ線近似ですよ。


 よって、関数の一点の内部に接線がいるとVRとして認める事は、曲線は区分的な一次関数の集まりだと認めるのと同じです。これはさっき言ったように、哲学的な概念分析としては非常に危ういのかも知れませんが、認めてみると非常に役に立ちました。


 


 したがって微分とは、一点における(局所的な)関数の一次関数化(線形化)、すなわち関数の局所線形化という人間の意志の産物なのです。


 


(執筆:ddt³さん)