OKwaveの以下のアドレスに、《神》は補助線である、というブラゲロ・マムシの問題提起がなされているので、興味のあるヒトは見て欲しいにゃ。
今から5年前の質疑応答ですか。今の「OKwave」や「教えて goo」などとは違って、この当時の回答の内容のレベルが高いね。かなり本格的で熱い議論が展開されているようだ。
この話は、哲学・(カトリックの)神学の唯名論と概念実在論(普遍論)が深く関係しているんだケロ。
この話は、哲学・(カトリックの)神学の唯名論と概念実在論(普遍論)が深く関係しているんだケロ。
カトリックからすると、(普遍)教会ーーローマ教会のことーーの否定に繋がりかねない唯名論はこの世から根絶すべき超危険思想だったんだケロ。
上の唯名論という記事の中にも唯物論という言葉が出てくるでしょう。このことからも、カトリック(神学)と唯物論は同じ天を倶(とも)に戴(いただ)けない不倶戴天の敵であることがわかるに違いない。
このため、唯名論の代表的論者であるオッカムは教皇からの召喚を受けると、「危ないケロ」と身の危険を感じたらしく、当時ローマ教会と敵対関係にあったルードヴィヒ4世のところに逃げ込んだのであった。中世ヨーロッパは魔女狩りの時代。召喚に応じてバチカンに行けば、異端審問→火炙りにされかねないからね〜。
上の唯名論という記事の中にも唯物論という言葉が出てくるでしょう。このことからも、カトリック(神学)と唯物論は同じ天を倶(とも)に戴(いただ)けない不倶戴天の敵であることがわかるに違いない。
このため、唯名論の代表的論者であるオッカムは教皇からの召喚を受けると、「危ないケロ」と身の危険を感じたらしく、当時ローマ教会と敵対関係にあったルードヴィヒ4世のところに逃げ込んだのであった。中世ヨーロッパは魔女狩りの時代。召喚に応じてバチカンに行けば、異端審問→火炙りにされかねないからね〜。
ジョルダーノ・ブルーノ
https://goo.gl/aVybzS
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どうでもいいことだけれど、
日本に伝わった大乗仏教は概念の実在を否定する唯名論の系統に属する仏教。対して、タイやミャンマーなどのいわゆる小乗仏教ーーこの語は差別語だということで、上座部仏教と呼ぶーーは概念実在論の立場をとる。
洋の東西を問わず、唯名論と概念実在論との間で激しい論争が展開されたことは注目に値するのではないか。
日本に伝わった大乗仏教は概念の実在を否定する唯名論の系統に属する仏教。対して、タイやミャンマーなどのいわゆる小乗仏教ーーこの語は差別語だということで、上座部仏教と呼ぶーーは概念実在論の立場をとる。
洋の東西を問わず、唯名論と概念実在論との間で激しい論争が展開されたことは注目に値するのではないか。
この記事の作成、ブログへのアップの間に、ブラゲロ・マムシから次の記事をいただいたので、あわせて紹介します。
唯物論と唯心論とが 神論として 互いに同じ《信じる問題》だという議論をします。
1. レンガの家について《形式と内容》そしてまた《形相と質料》といった概念を捉えます。:
形式( form ):家の四角なかたちや骨格
内容( content ):家が出来ているその材料としてのレンガ
形相( form; eidos ):家という実在から離れて概念と
しての多面体・立方体
質料( matter; hyle ):概念としてのレンガ
2. 形式と内容とは つねにそのモノについて一体です。
3. その実際のあり方から離れて形式や内容をおのおの単独に取り出すなら それぞれ形相と質料になるという用語の規定です。
4. そこで これら概念としての(あるいは 経験事物から一たん離れた抽象的な観念としての)形相と質料とをさらに抽象化して捉えます。
5. そうすると 質料のない(質料とは無縁の)形相が想定されこれを 特に第一形相と言ったりします。そして 形相のない質料は 第一質料です。
6. 第一形相は 精神(世界精神)ないしイデア( idea; eidos )であり得ます。
第一質料は 物質( matter; hyle )と呼ばれます。
7. どちらも 仮想の概念ですから 精神(世界精神)と物質とは けっきょく同じものです。形相と質料とを超えた第一原因〔を想定した場合のその第一原因〕として 同じことです。
8. 言いかえると ここから 唯心論と唯物論とが派生しますが 両者は 定義からすると やはり同じことです。
9. 唯心論や唯物論のそれぞれみなもとは――どちらも同じ《みなもと》としての第一原因のことであるからには・そしてまたそれは要するに《絶対性》として想定するからには―― 同じことであり これが一般に《かみ》と呼ばれるものです。
10. 共産主義は 弁証法的唯物論です。
唯心論において 世界精神から経験世界が――神の摂理としてのごとく――派生して来るといった見方と同じように 唯物論では 物質からあたかもその自己運動としてのごとく 世界が発生して来ていると――そのジグザグのかたちを跡に残すような社会的な力学がはたらく歴史過程を捉えて――《弁証法的》と言うようです。
1. レンガの家について《形式と内容》そしてまた《形相と質料》といった概念を捉えます。:
形式( form ):家の四角なかたちや骨格
内容( content ):家が出来ているその材料としてのレンガ
形相( form; eidos ):家という実在から離れて概念と
しての多面体・立方体
質料( matter; hyle ):概念としてのレンガ
2. 形式と内容とは つねにそのモノについて一体です。
3. その実際のあり方から離れて形式や内容をおのおの単独に取り出すなら それぞれ形相と質料になるという用語の規定です。
4. そこで これら概念としての(あるいは 経験事物から一たん離れた抽象的な観念としての)形相と質料とをさらに抽象化して捉えます。
5. そうすると 質料のない(質料とは無縁の)形相が想定されこれを 特に第一形相と言ったりします。そして 形相のない質料は 第一質料です。
6. 第一形相は 精神(世界精神)ないしイデア( idea; eidos )であり得ます。
第一質料は 物質( matter; hyle )と呼ばれます。
7. どちらも 仮想の概念ですから 精神(世界精神)と物質とは けっきょく同じものです。形相と質料とを超えた第一原因〔を想定した場合のその第一原因〕として 同じことです。
8. 言いかえると ここから 唯心論と唯物論とが派生しますが 両者は 定義からすると やはり同じことです。
9. 唯心論や唯物論のそれぞれみなもとは――どちらも同じ《みなもと》としての第一原因のことであるからには・そしてまたそれは要するに《絶対性》として想定するからには―― 同じことであり これが一般に《かみ》と呼ばれるものです。
10. 共産主義は 弁証法的唯物論です。
唯心論において 世界精神から経験世界が――神の摂理としてのごとく――派生して来るといった見方と同じように 唯物論では 物質からあたかもその自己運動としてのごとく 世界が発生して来ていると――そのジグザグのかたちを跡に残すような社会的な力学がはたらく歴史過程を捉えて――《弁証法的》と言うようです。